まず私はおっさんによく嫌われます。あらゆるところでおっさんに嫌われるんです。実はおっさんはあらゆるところにいるんです。 例えば私は嫌なことは嫌だと言います。 生活保護の窓口で、こう言うことを言われたことがありました。 「自己責任で全てやってください」 わたしはこう言いました 「生活保護というのは政策として重要な公助の部分をになっています。それをやっているあなたが自己責任で全てやれというのはあなたの業務そのものを冒涜していることになりますけどいいのですか」 意外と私、そういうことも言いますのよ。そんなアホみたいな話があるかと思ったんでムカついて言ったんです。黙ってられるかいな。アホくさい。 そうすると生活保護の上の方のおっさんに嫌われるのです。 こういうふうに言い返す生活保護受給者はいないと彼は思っているんです。なめたらあきません。そういう偏見のある職員のことをおっさんと私は呼ぶのです。いるでしょ?そういうおっさん、あちこちに。 もちろんその上の方のおっさんであるからと言って空気は読まないです。彼は私の上司ではありませんし。 私はいつも意味のないおっさんの意見に振り回されず、その説明もしっかりとしますし求めます。この時のように。 おっさんは私を馬鹿にしたいみたいですけど、私はおっさんを嫌いなだけで馬鹿にはしていません。アホみたいなことを言うなあと思っているだけです(笑) 私は障害者で生活保護を受けて生きていますが、結構そういう生活を工夫して楽しんでいます。お金がないなあということが多いのは事実です。だから野菜を育て始めました。そしたら面白くてハマっています。 こうやって面白そうに暮らしているのがおっさんには嫌みたいで嫌われやすいです。実際に近所の何かしら不自由が生まれてきたようなおっさん、例えば近所に住む、定年になってやることがなく怒ってばかりのおっさんにも嫌われましたし、支援を受けることなく糖尿で透析に通っているおっさんにも嫌われました。どっちもD Vっぽいおっさんでしたわ。 私はおっさんが何かを我慢しているから私にも同じく我慢して苦しめと言っているように思います。 でも私はそうしません。やることもいっぱいあるし、考えたいこともあるし、支援も受けています。そうやって楽しく暮らせるようにしているのです。全く我慢がないとは言わないけれどそれを少なくする努力をしているとい...
バイバイ、いやなオッサン、バイバイおっさんみたいな文化 そんな決別宣言