前回の記事はこちら ある告発の解剖 「正しいこと」はいつも困難である 鯛は頭から腐る、ということの果てなのか、はたまた元来からの人間の習性なのかこの頃のニュースはとにかく凶暴化が凄まじい。すぐに殺す。人類の滅亡へとまっしぐらな気がしてならない。 人と会話するにしても議論を深めるわけでもなくすぐに論破する。しかも何秒で論破!みたいに速さで勝負している気までする。議論の過程で折り合いをつけることを目的とする時代は終わったのだろうか。論破することに誰がそんな意味を持たせたのだろうか。もしそうならなんと殺伐とした社会だろうか。会話や言葉の必然性がいつの間にか変わっていたのかもしれない。 福祉サービスを受け始めて知ったが、この業界には結構非常識な人が多い。はじめは面食らったけど、腐りかけの鯛のお頭だった方のように、奇妙な「理屈」で解釈した言葉や文章をなすりつける。 ある日ある団体から一方的に「契約終了のお知らせ」というのが送られてきた。しかもその理由がわたしの希望ということになっていて、さらに驚いた。 覚えのなかったわたしはその事業所と改めて話し合いの場を設けてもらうことになった。 わたしは正式な記録である文書が作られていることもあり、円滑に話せるのかなと思っていたが、その団体は結局当人に覚えのない内容にもかかわらず結局謝罪も訂正も撤回もしなかった。 「本人の希望で契約を終えたように書かれていますが、どうしてですか。わたしは希望してないですが」というと、 「それは私たちがあなたがやめたがっていると判断したのでそう書きました。だから撤回しません」 なんだその解釈は、と思ったと同時に、それを言ったオッサンはとりあえず現場のトップで、その人の日本語の理解力がこの程度ってどうしようもないな、とどん詰まった思いがした。何回確認しても彼はそのセリフを取り憑かれたように繰り返した。 このような方と団体相手に今後どのように話したらいいのか、果たしてどのような会話なら成立するのか、全くわからなくなった。言葉が崩壊していると思った。 「これが自分が事務局長だと言って威張り散らしてるおっさんの理屈か」と思うと、この社会に生きる今後の自分の生活への不安でいっぱいになった。 そんなオッサンの事業所は、多分日本一の規模で歴史的に金銭管理事業を独占で行政から請け負ってきたところである。競争相手がいないとこ...
バイバイ、いやなオッサン、バイバイおっさんみたいな文化 そんな決別宣言