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『銀河』 タブーはこの先もタブーでいいのか 冒涜と自虐の境目

このところすっかり話題の宗教ネタである。 わたしは人である以上宗教を求める気持ちがあることはじゅうじゅう理解しているが、時にそれを悪用して気がつけば宗教心なのかただの忠誠心なのか求めるものがわからなくなっている団体やその被害者を見ると、つくづくその悪質性にため息が出るのだ。 いろんなタイプの宗教についてドキュメンタリーなどを見るのも割と好きなのだが、大体において何かの資格でも取るのかというほどにテストがあったり、やたらお金がかかったり、教義が無駄にエロかったりと、一体ここで本当に誰かが救われるのか?と聞きたくなるような団体も多い。 かといってキリスト教の場合、というだけの括りでもかなりな分派が現れたりしている中で、ストイックなところもあるので結局タブーになってしまっているものも多い気がする。 あとは、単純にあまりにも日本では知られていないので、ということが一番の理由だと思う。 とはいえ、わたしの実家はキリスト教の教会であり、父は牧師だった。 何かと幼い頃から聖書を眺める機会は多かった。わたしはかなり日本の中でもこの手のエピソードに詳しい方かもしれない。 だからこの映画を観て爆笑していた。 イエスがだらしない、それだけで相当に面白かった。それ以外にも山のようにパロディネタが続く。 何だか途中から不思議なリアリティを感じていた。一応記録と言われる聖書の記述とそれが『聖典』というニュアンスで、ものすごく真面目に考えがちだけれど、実際はこんな感じだったのかもしれないな、というふうに。 現実的に、ついつい固定観念で大げさに捉えていることも、いざ体験してみると拍子抜けするようなことがある。 大袈裟な天変地異ではなく、身近な毎日の流れの中にしれっと現れる、こんな人いたよねえ、面白い人だったねえぐらいからの印象が小さな奇跡とともに広がったとしたら、そんな絵本のような出来事も素敵に思えてくるから不思議だ。「神は細部に宿る」というような。 どっちが冒涜になるのかわからなくなってくる。そんなシュールさがとても楽しかった。