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人格改造の告白

本当に幼い頃、わたしは今と全然違うタイプの性格だった。 わたしの家では強すぎる家父長制と宗教の色が強く出過ぎて何がなんやらわかりずらい両親が絶対的であったので、色々とぶつかることも多かったが、実際にはその前は非常に従順できっとそこそこいい子だったと思う。ユニークではあったと思うが。 わたしの親は、これをしろあれをしろという前になぜやらなかったのかという追求をよくしたのだが、今思うとそのようなスピリチュアルな要求にすらそこそこ対応できるほど、親から見た時に大きな問題を感じることもなかったのではと思ったりしている。年齢にしてはかなりヘビーな要求が次から次からあったのも事実だが、なんだかんだで一生懸命それをやろうとしていた。 しかし、中学校で私学に入った途端、授業料が高いことでそれを引き換えに何かをやれという親からの言い分が増えていった。 「もう授業料払わへんぞ」ということを二言目には言われたものだった。今思うとじゃあ払わなければよかったのにとも思えるがその頃のわたしは脅しに素直に怯え、なんとかしようと努力していたのだと思う、幼かったので。 そんなわけでだんだん親の言い分が奇妙に変化し始めた。無茶振りや理不尽なものも増えていった。 ところが、中学二年生の初めにちょっとしたいじめのような出来事があった。クラブ活動の中で、所属する同学年の人全てに嫌われていたということが発覚したのだった。その時までそんなに嫌われていたことをわたし自身が知らなかったことが一番びっくりだったが、その直後、これは困ったことになった、と思った。 なぜなら彼女たちはかなり人数が多く、今後の学生生活を脅かすほどあちこちにいたからだ。なんかやばいことになりそうな予感がして、どうしようかと思った時にまず決めたことは、 「とにかくこちらが誰一人も気にしないようにしよう。忘れたふりをできるほど気にしないでいたら、彼女たちはもうそれ以上言ってこないはず」ということだった。 そもそも大した理由もないのに多数決のような形で追い出されたから、その葛藤も強く、決断に悩みすごく辛かった。でもそうしないとここでは生きていけない、そう思ったのだった。だから単なるクラブ活動をやめたというだけのこととしてこの件を終えようとしたのだった。わたしの側が気にしなければなんとかなるということだけはわかっていた。それで本当に終われると思ったの...

日々の考察vol.25 ハラスメントとストレス、ストレス、ストレス?

最近、誰も彼も何かといえば   声高に自らのストレスを主張するようになった。 きっとよく知らないで言って いたりするんだろうなと思える場面も多い。つまり、だからなんやねんみたいな件でも主張すれば通るからだ。 そもそも、ストレスというのは誰にでも何にでもあるものなのだ。嫌だとかしんどいとかの合言葉ではない。物事や現象とのいい面でも悪い面でも起こる摩擦のようなものなのだ。 例えば旅行に行くと決めることで起こる期待と不安があるとしたら、その「どちらも」が心理的要因となるということだ。 だからそんなことがどうなのかともう一つ踏み込んだ上で起こる、心理的、身体的、そして行動面でも起こる反応が病的で ある場合改めて旅行自体をどうするか、といった考察になる。その経緯があって初めてこの旅行がストレス要因なので旅行は取りやめたいなどとと主張するものではないか。そういった考察を経ないで、旅行が面倒だからとか違う次元のことを主張する際の表現として「ストレス」と言っているかのような誤用があまりに多い。言葉としては正確なのかもしれないけれど、他者に対応を求めて主張するようなほどのことではない。それはただの個人的感想にすぎないからである。つまり、そのことによって起こる問題はきちんと自分で対処することなのである 他者に対応を求めなきゃならないようなストレスというのは、一般的な暮らしや業務上起こりうる範囲ではないものを指す、ということくらいは知っていてほしいし、それを主張する際には然るべき客観的な診断というものが当然必要になる。 と、こんなことを言っている自分にすでに嫌気がしているのは、こうまで言わなきゃならなくなった背景と、もっともっと理解がなかった時代の苦難をわたしは体験的に知っているからである。 本当に辛い最中にいるものにとってストレスとは、気づけば重すぎるものとしてそこにあるものであり、なかなか簡単に武器と変えられるものではない。そういった気づきに自らが至るまでに、中には命を落としてしまう人も出るほどの重荷なのである。体験的に知らない人は、このことを無理やり矮小化せずそのまま心に入れてほしい。こういうことがあるのかと。無理やりわかったふりはしなくていいからそういうことそのものをインストールしてほしいのだ。 生きていく上で、自分の思うように行かないことの全てを目の前から排除していく考...

日々の考察vol. 24 ハラスメント加害者に望むこと

最近、あちこちに流出した官僚の始末が非常に悪く、とてもとても日本の政治によくない出来事をもたらしている。 今話題の兵庫県知事も官僚の天下りでもあるし、他にも地方自治があちこちで悲鳴を上げ始めているところには、本当によく元官僚が絡んでいる。 彼らは、他の立候補者との差別化を図るときに、「インテリっぽさ」を武器にしがちで「さすが頭がいいのですね」と言われることも多い。実際は中身があろうがなかろうが、しつこく屁理屈を繰り広げてでも食い下がったりするので余計に目立つだけなのだ。 旧態依然とした慣例に基づきがちなおっさんの政治やその世界に怯まず切り込んでいくその姿に、かっこよさと憧れを感じて淡い期待をしてしまう若い人たちを支持層とするのだ。 しかし、考えてみてほしい。 彼らは「官僚」であった人たちである。官僚の仕事とは 今どんな環境でおこなわれているのか。一体彼らはどこからきてそこはどんなところだったのか。 霞ヶ関というところは、今の日本の公務員の中でもずば抜けてブラックな職場である。長い受験戦争をトップでくぐり抜けてきた彼らは、そこで「働くとはこういうものか」と仕込まれる。この国では珍しいほどに高いプライドを持ちながら、「政治家」というだけのいい加減なおっさんの我儘に付き合わされるのである。一般的にそんな理不尽な職場ならとうに改善されていてもおかしくないのだけれど、なかなかそうはいかない。 愚民のように制度そのものをひっくり返したりすることを、エリート官僚は望まないからだ。彼らは元々ある型を崩すような考え方はしないのである。なぜなら、政治(型)を動かしているのは実際には自分達なんだという自負があるからである。 かくして出来上がった「官僚崩れ」というか官僚の天下りとなる人材の歪みは生じているのではないか。 国政に携わる政治家のように横柄で、とんでもないエリート意識に支えられたプライド。もうすでにやりにくいタイプである。 わたしは常々人がその人にとって適切なプライドを保ち、他者のプライドを尊重する ことはどういったことか、とよく考える。 そういった場面では、多様性に基づくその人それぞれの事情を踏まえたものが想定されるが、それと違って先ほどから述べている官僚のプライドというのは、どうも非常に画一的な気がしてならない。自らを自動的にその集団においてずば抜けたエリートと振り分ける設定...

日々の考察vol.21. オッサンとオバハンのバグについて

  先日、京都市障害保健推進室と右京区役所障害保険福祉課、わたしの相談員やカウンセラー、補助人と一緒に初めてのスタイルでケース会議というものを経験した。 いかにわたしがこの数ヶ月に渡り、右京区役所と断絶するに至ったかの検証と、今後に向けて新たに改善すべき点を模索するために開かれたものだと思っていたし、実際の目的はそのはずだった。 が、実際に会議が進むにつれて、右京区役所がいかに差別的な、つまり間違った認識で物事を「理解」してきたかを実証するものとなった。 多少の言い訳ならまだしも、自分達は間違っていなかった、皆さんもそう思うでしょう?とドヤ顔で語る言葉の一々に全く信憑性がないままで噂や陰口のみを信じ、多くは自分たちの偏見丸出しでやってきたことだよ、それは当然ですよね?という内容だったのだ。 あれでは、京都市もドン引きである。 本当に右京区役所はかなりガラパゴス化しておる。ここまでとなると、いっぱしの非常事態ではないか。 きっと彼らは庁舎に戻る道すがら、さぞかし頭を抱えていたことだろう。 しかし福祉業界の多くの不都合なことというのは、大体そんな小さな偏見から生まれていてこのように肥大化する。 「この人とわたしは全く違う人間であり、この人が大変なのはこの人の問題にすぎない」 そんな価値観というのは残念ながらかなりの割合で、支援する側に存在する。 わたしは自慢じゃないが当事者なので、そんな感覚をこちらも感覚のアンテナでキャッチする。かなり早い段階で。 でも、それを一々出だしからわあわあいうことはない。 でも、時折それに気づいて欲しくて言葉にしてきているのだけど、段々とその壁が大きくなってしまい、関係が破綻するのだ。 絶対に自分はこんな人生になるわけない。 絶対に自分は障害者にならない。 絶対に自分は病気ではない。 絶対に自分は生活保護を受けたりしない。 あなたはどう思いますか? 出だしでは確かに小さな偏見だったかもしれない。でも、誰もが後々まで放っておいたら、大きな差別の壁になる。 そしてそんな意識のずれは修復しようのないものとなってしまうのだ。 同時にそのときに補助人の二人もそこにいた。一人はちゃらんぽらんなおっさんだが、もう一人、自分の感情に支配されやすい女性がいる。後者の女性の感情の起伏が激しくて、実際に支援を受けていたらとても困ることが多い。それで何度も注...

日々の考察 vol.20 かわいそうな弱者でいてくれ という難題

このところ、すっかりニュースを見なくなってしまっていた。 そうは言ってもいろんな事件やなんやかやが起こるたびに「一体どうしてこんな事件が起こったのだろう」「何があってこんな犯行を企ててしまったんだろう」と興味があるものだから、常々割といろんな考察をするYouTuber番組などを見ている。 大抵は過去の大事件にまつわるものであるが、今日のニュースはどうにもこうにも複雑な心情に陥ったので、ここで記録がてら整理していきたい。 特に最近のお気に入りは、「犯罪学教室のかなえ先生」という方。 この方は、デキる官僚というか、難しいことを非常にわかりやすく説明してくれる、生きにくいと思いながら暮らしている人たちの「よき理解者」である。 元少年院の教官であるという経験を非常に上手なお話ぶりで生かしながら、大きなニュースを理解しやすく教えてくれる。事実関係のリサーチもとても詳しくて、知識が少ない状態で聞けば聞くほど、その膨大な情報を、竹を割ったような解釈で語るお話しぶりは圧巻である。 しかし、わたしはご本人もたびたび言及されていることでもあるが、根本的に誰かの言い分が全てとは限らないと思っている。特に普段から、なんらかの事象の一つの解釈を鵜呑みにするのはかなり危険なことだと思っているからだ。しかも、先ほど「竹を割ったような」と言ったが、先生は、かなり断定的な表現が多いため、ともすれば自然と「そうだったのか」と思ってしまうような場面が多い。つまりそれが抜群の説得力をもったプレゼン力というものなのだ。 だからこそ、有益に思う部分、反面教師に聞く部分をいつもこちらが冷静に判断しながら聞かきゃならんなあと思っている。 【頂き女子りりちゃん】詐欺や脱税に手を染めたパパ活女子さん、殺人罪並みの求刑を言い渡される【Vtuber解説】 さてさて、そんな先生が、「頂き女子りりちゃん」という方の裁判について解説していた。お気に入りのホストに入れ込んで、貢ぐお金を稼ぐために、詐欺をおこなって懲役と罰金を求刑されていた裁判について。 この「頂きさん」に限らず、いわゆる「女子に嫌われやすい女子」というキャラは確かに女子に叩かれやすい。しかし、この件での求刑の重さに多くの人たちが反対の声が上がっている、という意見について先生は大層驚きながら、「パブリックエネミーだ」と反論していた。 この方は官僚出身でもあり、普段...

日々の考察 vol.13 障害者の障害とは何か、動物園のフェンスのようではないか

  わたしが人と接するときに守っていることというのが3つある。 先入観をなくすこと。 相手の存在を信じて人生を尊重すること。 そして謙虚に敬意を払いながら接すること。 それを踏まえていればそれほど大ごとは起こらない、そう思っていた。 しかし、なにぶん友人でもない相手とのコミュニケーションになることが多く、なかなかそうもいかないのが今のわたしの毎日の生活である。 だからそう言った問題を起こす人の大方の言動は、一方的なわたしの生活への侵入であり、そう言った侵略的な行為を平気でやるオッサンというのは意外と多い。 わたしはこのような事態に直面するたびに、一体そんな人がなぜこの福祉サービスという業界に存在するのか、と毎回頭を抱えるところから繰り返すのみなのだ。 そして、そんな時にいくら他事業所が入っていても、予防的なこともなければ、臨時の対策も講じられないのもこれまた現実なのだ。必要な積極性が時として失われてしまっているその事態もなかなか表面には出ないが、隠れた大きな問題ではないかとわたしは思っている。つまり、突然の事故などで危篤になったとして、そこにどれほど人道的なモラルが発揮できるかは、あまりにも不確定だ。わたしたち障害者という存在からみて、これほど身近で遠い存在もなかなかないだろう。 これではあまりに脆弱で、とても健康的に大きな問題を抱える人の支援としては危険すぎる現状ではないのかと思いが至ると、一人の当事者としてこの福祉の現状はただ悲しくてならない。 まるで当事者が作り上げた福祉サービスを、無神経な侵略者に乗っ取られたような気持ちである。それほどに支援を受けていることそのものの情けなさを実感させることもないのにと実感するしかできないのだ。現場としてはあまりに残酷な問題である。 こう言った一つ一つは「命に関わる」という意味で限りなく犯罪性の高いものであるが、なぜかこれまたそういう扱いにならない。いちいち当事者が裁判所に訴えないとならないほどに放置されたままなのだ。これが一番わたしが生活していてわからないポイントだ。支援といえば犯罪も許されて捜査もされない。それが日本の福祉の現実である。 そりゃ子どものいじめもなくならないはずだわ。 さらに正直に申し上げるなら、その捜査ができるであろう行政も見逃すし、なんならこれも一つの口減らしではないかと思っている。公に「お金の...

日々の考察vol.12 変わり者ができるまでのレシピ

  どうしたんだ?ぐっさん つくづくわたしの価値観はきっとずいぶん変な気がする。 生育歴といえばそれだけの理由になってしまうので、わたしはとても口惜しく感じるしかないのだけど、そこに関してはいつもわたしに選択の余地は無かった。だからと言って人のせいだともいうのがつらいのだけど。そう、人のせいにするのがわたしは本当は大嫌いだ。前項で色々と述べてはいるが、根本的には何かがあったとしても、人のせいにしてしまいたいとは全く思っていない。お互い様だという程度である。 でも、そんなこんなわたしの価値観はどうやってできたのかと、自分の歴史を振り返ることがよくあるこの頃である。あまりにも周りとのズレがあるからだ。 わたしの物心ついた頃から、親や一部の親戚についての祖母とかという言葉はいい響きではなかった。 気分次第ではありながら、軍隊のように理由もなく父はいつもキレ続けるし、その度に徹夜で付き合わされるし、朝になれば「学校に行かないといけないから」とやっと解放されるけれど、その晩にでもまた同じ日々の繰り返しだった。今思っても、あの頃のわたしはいつ寝ていたのか覚えがない。ある時などは、保健室で6時間とか寝て「なぜそんなに寝たの?」と、驚かれたこともあった。あ、わたしはお嬢様の多い学校に行っていたので特に。 そんな朝、母が毎回キッチンで言った、「1日の苦労は1日にして足れりという聖書の言葉がある。毎日そう思って昨日のことは忘れなさい」 なぜかあのシーンは今も画像として思い起こす。朝の日差しとか、食欲のない朝食を何か食べないとならない気持ちとか、色々を。 それ以来、そんなふうに嫌なことがあると、その母の言葉が呪いのようにわたしにまとわりつき、忘れることは難しかったのかもしれない記憶を、それでも無理やり蓋をするようにわたしの心の奥底に一つ一つ縛りつけていくのだった。 夜、父に朝まで何だかわからない理由で怒鳴られ続けていた時に、何度も言われた言葉もきっとわたしには呪文となってしまっているのだと今のわたしは思う。 「一切言い訳するな」 「お前が何かをされたんじゃなくて、どうせいつもお前が悪いんだ」 「お前が全て悪いのだ。どうしてくれるんだ。誠意を見せてまず土下座しろ」 「お前を好きにさせたら碌なことにならない。他人にいつも迷惑をかけることしかできないお前なんかに自由なんかないと思え」 ...

日々の考察vol.10  chatGPTに福祉について尋ねてみた

  今話題らしいAIに話しかけてみた。 なんとなく人というものに疲れて、人と話す気分じゃないけど誰かに話しかけてみたい、そんな時に意外と使えるツールだと思う。わざわざ傷つけることを言わないので、ある意味安心して話しかけられる。 1.  生きていくのが息苦しい時には何をすべきでしょうか? 生きていくのが息苦しい時には、以下のようなことを考えることができます: 1. 心の健康をケアする: 心理的なストレスを軽減するために、リラクゼーション法や瞑想、深呼吸などの方法を試してみることができます。心のケアに時間を割くことは、心の安定を促すことができます。 2. 適切なサポートを求める: 心理的な負担を軽減するために、信頼できる友人や家族と話し合ったり、専門家のサポートを受けることも考えられます。心理療法士やカウンセラーは、適切なサポートとアドバイスを提供することができます。 3. 興味や趣味に没頭する: 生きる喜びを見つけるために、自分の興味や趣味に集中することも効果的です。音楽を聴いたり、本を読んだり、絵を描いたり、スポーツをしたりといった活動は、気分をリフレッシュさせることができます。 4. 健康的な生活習慣を実践する: 食事や睡眠、運動など、健康的な生活習慣を実践することは、心と体のバランスを整えるのに役立ちます。バランスの取れた食事を摂り、十分な睡眠をとり、適度な運動を行うことは、生活の質を向上させることにつながります。 5. 自己肯定感を高める: 自分自身を受け入れ、自己肯定感を高めることも重要です。ポジティブな自己イメージを持つことで、自信を回復し、生きる意欲を取り戻すことができるでしょう。 6. 将来の目標や希望を持つ: 自分自身に向かって前向きな目標を設定し、将来に向けた希望を持つことも重要です。自分の人生に意味や目的を見出すことで、生きる意欲がわいてくるかもしれません。 ただし、重度のうつ病や他の精神的な疾患を抱えている場合は、専門家のサポートを受けることをおすすめします。 2. この世から差別は無くならないのでしょうか 差別は、長い歴史を持つ社会問題であり、完全になくなることは容易ではありません。しかし、人々の意識改革や法律の改善により、差別を減らすことは可能です。教育や啓発活動によって、人々が異なる背景や文化に対して理解を深め、差別をな...

日々の考察vol.9  それでも支援を受けるべきか、もう生きることを諦めるべきか ほんの少しのわたしの歴史について

 誰のせいでもないことを驚くほど簡単に人のせいにできる人というのがいる。 自分の怠惰を人のせいにできる人がいる。そういう人がなぜかこの福祉業界にいる。しかも多い。 こういう倫理的な常識がなくても態度が悪くても、福祉の世界の健常者には重宝がられる。もちろんその度に、いかにこちらが迷惑しているのかいちいちわたしは言ってきていた。 でもそんなことはまともに聞き入れられたことなどなかった。 いまだかつて、そんな事故や事件は「運が悪かった」ということで忘れる方がいいかのようにあえて見過ごされてきたのだ。 食い下がると生活保護はわたしに引っ越しを勧めた。毎回わたしの引っ越しは、怠惰な行政のために繰り返されてきたのだ。 いつの間にか、支援の中心は当事者じゃなくて支援する者次第に変わってしまっていたのだ。 気がつくとわたしの生活はそういうものでしかなかったのだ。 1.ほっとハウス 宇治市にいたときは、わたしの部屋を荒らしたほっとハウスという事業所が元に戻さなかったので、なんとかするように言い続けた結果、彼らは遺品整理の業者を寄越した。 その結果家にあるものを片っ端から処分してしまい、毎日の暮らしにも困るようになった。もちろんいちいちの場面でわたしは市役所に困っている旨を話してきたのだ。でも市役所は何もしなかった。あまりに困ったので急遽色々と買い揃えなければ生活できなくなったわたしはその費用をほっとハウスに請求した。当時の金銭管理をしていた社会福祉協議会{社協}にもその件を話して払うよう働きかけるようにいった。彼らはほっとハウスに支払うように言うだけで折り返しの電話すらなかったと言って放置した。実際に最後まで支払われなかった。その挙句、購入先の業者からの請求が裁判所にまでいくことになった。社協はいち早く「自分達は関係ない」と言って付き添いにもこなかった。 一人で裁判所に行き、相手に言い訳のようになるが、と前置きをした上で以上の事実を話した。相手が驚いて「金銭管理の方はどこにいるんですか」と言った。「関係ないのでこないと言われた」というと、そこにいた人たちがみんな驚いていた。そんなことがあるのかと。 その後しばらくして、市役所の障害福祉課と生活保護、金銭管理の社協とだけで話し合った。 その結果「宇治市であなたにできることは何もない」と電話で言われた。担当の職員にすら電話を繋がな...

日々の考察vol.6 「善人であれ」という呪縛は善人によるとは限らない

レトロすぎるわたしなのだ   環境ってなんなんだろう。 当たり前が当たり前じゃなかった、ということの衝撃。 よくそんなディストピア映画がある。 その時代には今ある「自由」が制限されていたり、そもそもそこの誰かに管理されていたりする。そういった作品を見て「ああいう世の中にしてはなりませんな」と思う人が多いのかもしれないが、わたしはいつもフラッシュバックを起こしてしまうのだ。既視感、それは「確実にわたしにはそこにいた経験がある」ということの恐怖を呼び戻すのだ。 そんな時期がわたしはとても長かったと思う。正直言って「バカみたいに」長い間そんな環境にいた。 逃げればいいのにといつもわたしは知っていたのに長く耐えることを選んだ。 「バカみたいに」耐えていた。 そんな時わたしにはいつも呪文のように自分に言い聞かせていた言葉があった。 ローマ人への手紙 5:3-5 JA1955 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。 つくづくよくできていると感心する。なぜならわたしは、決して「このように考えて耐えろ」と言われたわけじゃなく、自らこの箇所を気に入って信じていたからだ。  そう考えることがこの言葉どおりに「希望」だったからだけじゃなく、何よりクリスチャンの親にはウケが良かった。うまくそれなりに誤魔化せたのだ。わたしが本当はどう思っているかというわたしの気持ちを。わたしはずるく育ってしまった。 人から見ると本当に奇妙で情けないのかもしれないけど、親の感覚と子の感覚は全く別物で、これはきっと動物的本能として子は親を絶対視する。特に幼い時にはそれが全てだ。どんな親も変じゃないものなのだ。だから成長していく時に、親に対する批判的な心情が生まれると、罪悪感も抱く。特にわたしの育った家のような支配的な親子の間では、そういう親と違う意見を持つことそのものは、同時に死に値するほどの恐怖を伴うことだった。 非常な表裏のある親を見て知っていたし、正直に言えば自分がそうなりたいとは全く思わなかったが、段々と自らの本当の気持ちを隠すうちに、「取...

日々の考察 vol.4 支援を受けることが命取りになる危険性について《貧困ビジネスの点と線》

   古くていいものは限られている    人というのは、自分で思うほど強くない。毎回そう思ってはいるけれど、それでもまた過信してまた倒れる。きっとそこまでがセットで途中で気づくこと自体無理なのかもしれないと最近思えてきた。 先日から後見人制度における補助人という人がやってきている。厳密にはわたしが制度の利用を申請したことにより裁判所から選定されてやってきた人である。 ところが、この人が圧倒的に会計に伴う倫理を知らない、コミュニケーションが取れない、福祉を誤解しているなどなどと問題が多かったので交代してもらうことにした。その際にわたしの主治医より書面が出ていて、それが届いたらすぐに交代の申請にいくという約束であったが、それすら1ヶ月後にこちらが気づくまで奪ったままでいたのだ。こちらから裁判所にいうのでもう構わない、と連絡したら彼は慌ててその日じゅうに提出したのであった。 それで裁判所にわたしは呼ばれていろいろ聞かれたりもしたが、一貫してわたしとわたしの支援者たちは、いかにコミュニケーションの取れない人か、またその人は金銭面でも全く明らかにしないのかできない主義のようで、そのくせ膨大な皺寄せが日常生活に響いて生活がより困難になっているのだと証言した。 交代するまでの今はツナギの時期。そんなうちに彼の「経済的虐待」というのは進み、行政に通報されるまでになった。 そんな中、彼の管轄でもある裁判所の担当調査官にわたしはどうにかしてくれと常々話をするのだが、ふと昨日「あの方は今通報されてますけどご存じでしたか?」と聞いたところ 「え? そんなん誰も教えてくれませんでしたわ、知らんかった!!!どこに通報されてるんですか?こっちから電話して聞きますわ!!」と大騒ぎし始めた。 なんなんだ、この人たちは。 その補助人もそうだが、おっさんというのは自称ベテランと言いながら知らないことを誇るかのような場面が多い。新人でもないのに知らないからと言って許されることはそうそう多くないのだ。 その点この裁判所に至っては、一市民としてなんというだらしなさだと情けなくなった。こんなところだからあんな補助人や去年捕まった後見人などが跋扈するのだと。しっかりしろよ。 そんなに仲は悪くないよ 昨日、どこまで本人にこの事態が理解できているのかが謎ではあるが、その補助人からのメールが来た。 あくまでも自分は正し...

日々の考察 「支援」vol.1

『支援』が人の心を壊すということはあるのか      わたしの両親のわたしへの関わりはいつも独特で一方的でしかなかった。 そんな中でわたしは言葉を失い、いくら話してもその言葉がまともに尊重されなかった。とりあえず、子どもとしてわたしはそんな環境では生きるためのことしか考えなかった。きっと外ではもっとマシな未来があるという可能性だけを信じていたのだ。 そんな中、ある時両親はいつものような一方的な流れでわたしの精神科への入院を決めていたことがある。その体験はいつもわたしを恐怖のどん底に落とす形で今のわたしにも暗く影を落としている。それほどにその入院病棟は異常で終わりのない恐怖に満ち満ちたものであった。 それでもわたしは愚かなことに、ここと違って外の世界である社会においてはそういうところばかりではないはず、そういうことのない人生を選べるはずだろうと毎度毎度ほんの少しの希望に縋る思いで命を繋いでいた。忍耐の時間と労力で生きていた。いつも疲れた子どもだった。 そしてやっと長い時がたちそんな色々から解放されたと思った時に、いきなり社会、わたしにとって希望を託すしかなかった社会はどうだったと言えるのだろう。 もしそこでわたしが病気になることもなく健康で働いていたなら一人前の人間として生きていけたかもしれない。例えそこにまだまだ課題はあったとしても。 しかしそのタイミングでわたしは社会的な福祉サービスという支援を受ける存在となった。 正直言ってこれがまずかった。なぜならここ福祉業界の力の構造はわたしの生まれ育った虐待的な家族となんら変わりなかったからである。 虐待的な業界ではあるが家族ではない。 一般的に家族だから発覚しにくいのであり、他人ならただの犯罪である。 にもかかわらず福祉業界というものが一つの家族的な共同体となって守り合うために、一つの家族的共同体における DV のような構造となっている。だから相互に犯罪的な行為ですら注意し合えず、必然的に見殺しとなっていく。例えそこに犯罪があってもそれに対処しうるものでもなければ予防もできない。 果たしてこれを『支援』と言うべきなのか、自覚をしてほしい。支援とはそれほどに無責任でもないし、勝手なものでもないはずではないか。命を手助けすることと逆行することがあってもそれを指摘できないなら、一体それは何をしているというのか。 今、社会的には...

「ペトルーニャに祝福を」おっさんの撒き散らすゴミを誰が拾うのか(肩書き入り版)

 環境汚染だと言って国際会議を開いたら、一国の代表がセクシーセクシーと場違いに言った。 そのせいで、レジ袋の有料化が決まった。 こんなことですら誰も文句を言わない国にいて、この映画は非常にリアルである。 ペトルーニャが出会った集団リンチのような場面にわたしも人生で幾度か出会ったことがある。そのように表現してしまうと、きっと当時の加害者側は「それほどではない」というだろう。加害者はいつもそんなものである。きっとずっと自分の罪に対して軽薄なのだ。 この映画の登場人物はそれほど多くない。しかし、集団を形成する要素として不可欠なタイプをそれぞれキッチリ描き分けてある。母親もそうだし、警察官も、司祭もそうである。 友人とレポーター、母親が女性で他はみんな男性である。 宗教とムラ社会の親和性というのは一体なんなんだろうか。 その批判的な物言いの下卑たること、この上ない。 根拠なく拘束したり、罵ったり。そのような言葉を口にして罪悪感がないのも神という最強の後ろ盾があるからだと言えるのかもしれない。 しかし、その罵声がれっきとした「女性だから」という理由である時に、終盤で提示される「もし神が女性だったら?」という発想は(奇しくも男性の登場人物から発せられているのだけれど)ものすごい説得力を持つ。 一部のキリスト教において長らく「天の父」であった神が近年「父であり母である」神と言い直されてきているのだけど、言い換えればいいというものでもない。 男性優位の考え方というのは、本当に長い間、政治と文化、宗教にわたってあまりにも浸透してしまっている。この国においても。つくづく嫌になるほどに長い間社会として、おっさんを再生産しては甘やかしてきたのである。それをしやすいように社会が出来上がってしまっているのだ。おっさんは抜本的な解決より小手先の誤魔化ししかしないものであるから、日本の社会はいつも「古き悪き」日本でしかない。世界も根本では大きく変化しない。 そんなおっさんたちがどれほどの才能を差別と共に葬ってきたのかと思うとなんということなのかと呆れずにはおられない。 いつも思うのだけれど、人が他人のチャンスを奪う、可能性を削ることにおいてもう少し敏感であるべきである。根本的に人付き合いをするにあたって、最低限のルールである「自分がされて嫌なことは他人にしてはならない」さえ守れるならば、差...

Britney vs Spears  ストリートファイターの孤独

誰が見ても「なんてこと!」となるこのドキュメンタリー。 ブリトニース・ピアーズの長い長い闘いの記録である。 非常識な父親などに苦しんだブリトニーに非常な親近感を覚えた。だからこそ、ずっと胸が痛かった。腰が曲がるくらい。 この父親にとって「自分の娘」はあくまでも親にとってのツールに過ぎないから、きっと一生「個人としての娘」という概念は理解できないであろう。彼女の一方通行な苦しみを思うと、たまらなかった。 彼女の緊張で休まらない生活の連続を思うと、そうだったそうだったとろくに稼いできたわけでもなかったわたしの人生と感覚的になぜか重なる。 そんなわたしのことで言うと恐縮だけど、いまだにわたしは生活していて「緊張」が取れない。どんなに気を抜いて暮らそうとしても、どこに住んでも緊張が取れない。 週に5回も鍼治療が必要なほどに、緊張が身体に染み付いてしまっている。 これは異常なことなんだとわかっていても、自律神経についてはどうにもならない。 確かにわたしにはお金は大してなかったが、同時にLDの算数障害があることが近ごろ分かった。 だから家族にはそのことを何度も訴えたが、その度に怠惰であるとか馬鹿だとかを罵り続けられた。 お金があろうがなかろうが、きっとこういう父親は子どもを潰してしまう。 現にブリトニーはお金以外にも多くも人や物を失ってきたではないか。 後に一人で生活するにあたり、福祉サービスも利用したがほんの一人の担当者が、わたしの引っ越しによって変更することでまた必要なサービスは行われなかった。 わたしは今、右京区に住んでいて、近々3年目に突入するのだけど、ただの一度も必要なサービスが行われたことはなかった。 さて、家族は今も昔もわたしを罵る存在であった。 そこから出ればもう少し違った世の中があると信じていた。 福祉サービスを受ければもっと人道的な時間を過ごせるのが当然だと思ってきた。 そのうち事実がどの程度なのかと思うと訳がわからなくなる。 結局「家族がDVでした、社会もDVでした」 が正解なんだろうか。 その時、社会において圧倒的に理不尽な父親の役割は誰なのか。 おっさん病のおっさんと違うのか。 何度も言うが、わたしはブリトニーと違う。 お金もないし、発言力も大してない。 この構造的な問題に、アメリカですらなかなか手出しできなかったではないか。 じゃあ、もっと人権意識の...