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グッド・シリアルキラー ホラー映画なのに笑えてくる来るべき未来の映画

わたしの実家では  欲しいものがあれば、どうしてそれが欲しいのか、なぜそれが必要なのか、購入のための趣意書を作成して親の許可をもらわなきゃならなかった。 当時はネットもなかったのでそのやり方か、もしくは自分で稼いで買うように、と言われたからわたしは高校生の時からとにかく必死でアルバイトをしていた。 そんなこんなで年齢を重ねるにつれ、自分の都合で楽しみたい趣味もできたし、それを満喫できる空間も欲しかったのだと思う。思う、というのはいまだにわたしには、プライベートというものの線引きによる実感がピンとこない。実家では、わたしの部屋に内鍵をつけることは許されなかった。一回、わたしが相当な年齢になってから部屋を改築したときに、扉を付け替えることになってたまたまそこに内鍵がついていることを知った母が、あられもなく発狂しそうになったのを見て、わたしは本当にこの人はわたしがそういう空間を持つことを許せないのだと不思議に思った。変な感想ではあるけれど、その執念を思うと逆にわたしはそれまでのことが腑に落ちたし、心から奇妙にも感心したのだった。 中学生の初め頃、当時駅で気に入ったポスター(なぜか「いいちこのポスター」とかが好きだった)を駅員さんにお願いして取っておいてもらってそれを持って帰ったりしていたのをアート気分で部屋に貼っていた。わたしはいつもそれを気に入って眺めて過ごしていたのだが、ある日帰ったら全てなくなっていた。その光景はとても衝撃的だった。 わたしはなんとなく父によるものかなあと思っていた。またなんか気に障ったんだろうと思った。でも確かめなかった。 随分経ったある日、いつものように母があれしろこれしろ、あれはするなこれはするなと色々話していた時に、「あんなしょうもないもんを壁に貼る暇があったら」と言った。ん?「お母さんやったの」「そうだけど?」「お母さんやったのか」 「破って捨てたわ」 「なんでそんなことをできるの」 「なんなん?そんなにいうほどのもんでもないやん。欲しかったら買ってきたらしいやん。ほら、財布渡すわ」 そう言って母は財布を投げた。まるで母が被害者みたいだなあと思った。 「もういいわ」 「早く買ってきなさいよ。そんなにぶつぶついうなら出ていって好きに暮らしたらいいやん」 そんな母の言葉を背にわたしは部屋に戻った。 そうだったのか、母だったのか。そんなふ...

「天の怒り」わたしの喪失とオッサンの喪失 

はっきりと後味悪い映画である。 大御所の男性作家と元助手、もう一人の作家、こちらは作家希望だった男性、この3人と周りの人たち。この3人の10年以上にわたる物語。 軸は家族の死である。 あと、復讐についてどう考えるか。 アルゼンチンの映画で始終聖書に基づく価値観が出てくる。特に旧約聖書の方が。 元助手ルチアナは、牧師の娘で真面目な女性。 まあまあな大家族で和気藹々と暮らしていた。 それに対して大作家クロウリーは妻と娘の 核家族で、どうも妻が神経質すぎるなあというくらいから物語が始まる。 きっかけはセクハラで訴えたこと。それのせいで家族が一人ずつ殺されていったというのがルチアの主張である。 この大御所は困ったオッサンで、何を自慢したいのか聖書を自分の「復讐心」の当て馬のように使う。 わたしも牧師の娘で小さい頃からまあまあ聖書を読む機会は多かったし、その話はとても身近だった。 でも、あれほど都合よく読めてしまえる書物も他にないなあと今も思う。ある意味矛盾に満ちていて、TPOに合わせて何とでも使える。 しかもそこには、縋り付くような思いで信仰を求める多くの人たちがいた。 わたし個人は、聖書というかキリスト教のモットーは「赦し」というもので、とても好きな考え方だと思っているのだが、それに対して旧約聖書の主は神でありちょっとパワフルなキャラでありまあまあ矛盾するようなことになっている。 それが「復讐」なのかもしれない。 困ったことだ。 それでそのような本来非常に個人的な思いに過ぎない「復讐心」を、聖書という武器で裏付けようとするのだ。 つまり、「神がわたしにそうさせている」という理屈である。 わたしの生育環境がかなり暴力的であったが、そこにもいつも両親だけでなく「神」が存在した。 「お前がちゃんと育つようにする義務がある。なぜなら親は神から預ったんだから」 「神はいつも見ているんだぞ。何もバレないと思うな」 「うまく育たないと神に顔向けできない」 だから、先ほどの復讐についての件をこの映画で語られているのを見た時も、そうなんだよね、この手の人はそう思うんだよね、とある種の納得をしてしまったのだった。 たとえ神に託されたとしても、所詮親は人間だ。 にもかかわらず、神の制裁を実行することを躊躇しない人がいる。 何様なのか。もう一度いう。何様なのか。 それがいつも疑問だった。 そんな...