いくつになっても、自分が振り返った自分の人生への想いがひっくり返るような出来事と言うのは起こる。そしてその度に、これ以上もない虚無感と絶望を味わい尽くすのだ。だからわたしは過去を振り返るのは好きじゃない。 思えば、わたしの親がわたしにしてきた強要的な支配のようなものが、通常の親のものと違うのかもしれないと思い始めた時から全ては始まっていた。 しかし、家族として暮らす以上、そのいちいちの答え合わせのようなものを過去に対してまで行うことはしなかったし、きっとその時の「現状」ですら、その時のわたしが生きていく上で耐えうる程度にしか認識していなかった。きっとそうに違いない。 だからこうやって後からまるでツケを払うように「あの時はそんなものだと思っていたことが根本から違うなんて」という出来事に今更出くわすのだ。 最近ちょっとしたことをきっかけに、わたしの中にある過剰なグロい下ネタへの嫌悪感に対して自分で疑問を持った。なんだか生理的に嫌だわと。しかもそれって異様なほどだわと。 そして、これってもしかしたらあのことが原因なのかなあと思うような過去を2つ思い起こしたのだ。ちなみに、わたしはそれまで、その2つの過去をトラウマになりうるものだと思ったことはなかった。 1つは、わたしは中学校の時から電車に乗って1時間はかかる学校に通っていたのだが、電車の中でも、その待ち時間に利用する本屋でも、とにかく痴漢にあった。 渋滞している空間には必ず痴漢がいる、今ではそんな解釈をしているわたしだけれど、初めて痴漢にあった小学校を卒業してすぐのわたしは、されていることは嫌だったけれどそれが「痴漢」ということだとはわかっていなかった。 そこで、帰宅後、母に聞いてみた。こんな事をするおっさんがいたので嫌だった、と。それを聞いた母は「それは痴漢だ」とものすごく怒った。わたしもその様子を見て、やっぱりあれはやったらいけないことをあのおっさんがしていたのかと少しホッとした。 そしてそのまま学校には通い続けていたが、高校生の頃にほとほと嫌気がしてものすごく早い空いている時間の電車で通うことにした。ちなみに、そんな痴漢は一人ではなく周囲にあまりにもいっぱいいた。 ただ、そのことでわたしはちょっと混乱したことになった。 なぜなら、ここからが2つ目の過去であるが、わたしの家族というのは宗教的に独特な立場(...
バイバイ、いやなオッサン、バイバイおっさんみたいな文化 そんな決別宣言