今日、父が亡くなったらしい。メールで知った。 変な気持ちだ。 ドキドキと動悸がしたし、オロオロと何をしたらいいかわからない。何をしたいのかしたくないのか、わからない。 あー、ほんまにうちはいつも突然だなあとか、式に行けば妹に会って何を言われるかわからないし怖いなあと思ったり、どうしたものかという戸惑いと、嫌すぎてスルーしたい思いと、これからまた色々と面倒なことが起こりそうな嫌すぎる予感と。 場違いなことであるのは承知しているが、何もわざわざ父の葬式だからと、妹に再会したくなさすぎて、できればやはりわたしは妹に会わないで済ませたい。 ああ、わたしの人生で一番大変だった人が亡くなったのかあと思う一種感慨深いような気持ちと、その父の若い頃とそっくりになってしまった妹にあうことでまた繰り返してしまう恐怖と。 ある友人が圧倒的にシビアな言葉をそんな揺れてるわたしにくれた。 「ほっといたらええ」 もちろんわたしの家族のこれまでをよく知っているからこその言葉なので、決してただの偶然に出た悪口ではないのだけれど、わたしの中にもある残酷で辛辣な部分をこうやって引き受けてくれてよかった。 で、わたしはどうしたいのかとかいうこと以前に、実は今、びっくりし過ぎて感情や感覚がかなりふわふわしているままでそれがなかなか治らない。 きっとそれなりの言葉のやりとりはできるんだけど、自覚としてはかなり薄い感じ。こういう解離症状のようなものは久しぶりなのだ。 困ったな、そういう言葉ばかりが浮かぶ。 人が亡くなるといろんな物事が怒涛の勢いで進むのは誰でもそうなのだけど、なぜかわたしの実家は突然亡くなるパターンが多いので、今回もまた父の死を取り巻く物事についていけていない自分自身にただ困ったなと呟くしかできない。 わたしの実家にわたしの存在はあったのだろうか。 父の中にもあったのだろうか。 わたしは実家でいつしか全員のサンドバッグだった。 そんなわたしが、父が亡くなったと言ってわざわざできることはない気がする。 「理想的な」娘像としては、それでも「わたしは長女なんですから」とか「産んで育ててくれてどうのこうの」と心にもないことを言いに行くことを求めるんだろうけど、 サンドバッグにしていいと思われていた娘にもそれは有効なんだろうか。 普通に、ただの悼む娘、ではいられない気持ちがある。 一つだけ今...
バイバイ、いやなオッサン、バイバイおっさんみたいな文化 そんな決別宣言