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7月, 2024の投稿を表示しています

VOL.23  父が死んだ日

  今日、父が亡くなったらしい。メールで知った。 変な気持ちだ。 ドキドキと動悸がしたし、オロオロと何をしたらいいかわからない。何をしたいのかしたくないのか、わからない。 あー、ほんまにうちはいつも突然だなあとか、式に行けば妹に会って何を言われるかわからないし怖いなあと思ったり、どうしたものかという戸惑いと、嫌すぎてスルーしたい思いと、これからまた色々と面倒なことが起こりそうな嫌すぎる予感と。 場違いなことであるのは承知しているが、何もわざわざ父の葬式だからと、妹に再会したくなさすぎて、できればやはりわたしは妹に会わないで済ませたい。 ああ、わたしの人生で一番大変だった人が亡くなったのかあと思う一種感慨深いような気持ちと、その父の若い頃とそっくりになってしまった妹にあうことでまた繰り返してしまう恐怖と。 ある友人が圧倒的にシビアな言葉をそんな揺れてるわたしにくれた。 「ほっといたらええ」 もちろんわたしの家族のこれまでをよく知っているからこその言葉なので、決してただの偶然に出た悪口ではないのだけれど、わたしの中にもある残酷で辛辣な部分をこうやって引き受けてくれてよかった。 で、わたしはどうしたいのかとかいうこと以前に、実は今、びっくりし過ぎて感情や感覚がかなりふわふわしているままでそれがなかなか治らない。 きっとそれなりの言葉のやりとりはできるんだけど、自覚としてはかなり薄い感じ。こういう解離症状のようなものは久しぶりなのだ。 困ったな、そういう言葉ばかりが浮かぶ。 人が亡くなるといろんな物事が怒涛の勢いで進むのは誰でもそうなのだけど、なぜかわたしの実家は突然亡くなるパターンが多いので、今回もまた父の死を取り巻く物事についていけていない自分自身にただ困ったなと呟くしかできない。 わたしの実家にわたしの存在はあったのだろうか。 父の中にもあったのだろうか。 わたしは実家でいつしか全員のサンドバッグだった。 そんなわたしが、父が亡くなったと言ってわざわざできることはない気がする。 「理想的な」娘像としては、それでも「わたしは長女なんですから」とか「産んで育ててくれてどうのこうの」と心にもないことを言いに行くことを求めるんだろうけど、 サンドバッグにしていいと思われていた娘にもそれは有効なんだろうか。 普通に、ただの悼む娘、ではいられない気持ちがある。 一つだけ今...

日々の考察 vol.22 虐待って終わるのか。どうやったら終わるのか。

最近とてもえげつないニュースが多い。 どうやらあっちこっちの公務員の方々が無茶をしているようで、記者会見ばかりが目につく。 あっちでペコペコ、こっちでペコペコ、合間に開き直るやつやら、おっさんというのは本当に人の事情より自分の事情なんだなと思う。 ここのところ、虐待によって起きるニュースも多く、その度に児相だの施設管理者だののおっさんが似たようなことを言い訳しながら謝罪しているのだ。つくづく奇妙な時代である。虐待はかなり熟練の第三者によって判断されてしまうくせに、その判断の基準は被虐待者の気持ちによるという責任逃れな構図があるから、結果的になかなかいい加減なことになり、結局悲劇は起こるべくして起こる。こういった相談機関は、すぐに「業務としての関わりの限界」を言い訳にするが、そのような方は、そもそもそのような職業に向かない。自分の立場のために判断することを嫌うような大人が子供を助けることは無理なのだ。後から悔やむことは誰でもできるが、命を救うことの責任が取れないなら、そもそもいない方がいい。 業務の前に一人の人間であることを忘れてしまうような人は福祉業界にいてはいけないのだ。 これが公務員というものかと実に情けない。自分の愚かさを競い合ってどうする。なぜおっさんにはまともな羞恥心もないのか。 虐待事案において、正直言って自分で今虐待を受けていると自覚できる人は大人でも少ないのではないだろうか。やっている側もそうかもしれないけれど。 本人としては、ただそのようなものとひたすら教えられるとともに、圧倒的な受け身でしかないからだ。だいたいその空間には、真っ当な常識的モラルはないのだ。だから良識ある第三者がその常識的モラルにおいて介入して支援しなければ助けられないのだ。ややこしい理屈を捏ねていることと命を助けることはどちらが優先されるか、それこそ本来悩むまでもないことのはずなのだ。つまり根本的に命を助けない理由というのはありえないからだ。 さてわたしの育った環境は、その点においてとても酷かったみたいだ。 そんな過去の一コマを話すにしても、毎回毎回「実際あったよりひどく話していないだろうか?」とわたしは自問自答する。表現し難い暴露に伴う罪悪感や、この期に及んで事態を矮小化しなきゃという気持ちが瞬時に働き、それが実はとても疲れるのだ。自分の中の気持ちがとても巨大な綱引きをするみた...