この身に起こるまさかの出来事は、さっさと無視して切り替えたほうがいいに決まっているのに、たいてい体がフリーズして結局振り回されてしまうのだ。
そんな時に知るかボケ!と石ころでも蹴っ飛ばして、さっと切り替えることができるならどんなにいいだろうか。
今回の主人公、ブリット=マリーはそんな一念発起をした。ほとんど勢いで生活をガラッと変えたのだけれど、彼女は63歳ということらしく、それだけでまずほほうと尊敬してしまうのだ。
おおかたにおいて、その一念発起が歳と共に成功することがないと決めつけて億劫になり、我慢するものだからだ。それだけ彼女にとって大きなまさかだったのだろうと思うのだけれど。
ただ、彼女はすごく真面目だった。真面目に子どもたちと向き合って一緒に体当たりする。
そんな大人が意外と少ないのもこの世の常である。
思い起こせばわたしも子どものころに一人の人間として接してもらえた大人は極端に少なかった。今もそんな風潮はあるのかもしれない。その子どもたちのサッカーチームを引っ張るヴェガという女の子がいい友だちになっている気がする。子どもでも色々苦労をすれば色々学ぶ。そしていいソウルメイトになれる気がするのだ。まだ人生の半分ではないかとブリット=マリーにいうところで思わずそうなのかと何度も思ってしまった。
この頃人生のカウントダウンの最中にいる気がしてならなかった。ちょっと前までは、やりたいことがあっても、いずれやれる時が来るとじっと耐えてきたけれど、最近はそう考えることを自分に許せなくなっていた。もう諦めないといけないのかもしれないと、心の奥底がどんなにそれを拒絶しても、無理矢理そう思わなきゃいけない気がしてきていた。必要のない我慢もしたいとすら思えなくなってきているし。全てがそういう『お年頃』だというだけの理由でそんなふうに思って焦ってきていたのだ。
でも少しわたしより年上のブリット=マリーにまだ人生の半分ではないかという人がいてよかった。今でもあまり長生きしたいと思わないけれど、それでも少し嬉しく思った。どうしてだろうか。
そう思えてこそ、一日ずつよと自分に言い聞かせながら眠りにつくブリット=マリーの地道さが強く生きてくる。そうだったのか、それでいいのかと見習いたく思った。
あと、久しぶりにサッカーを見て応援することまでやってしまった。話に出てくるリバプールの試合を昔見ていたことも思い出した。
そうか、焦らず一日ずつ、と今日は少なくとも思えた。それだけで見てよかった。
そういえば、この映画においてのオッサンだけれどきちんと出てくる。ブリット=マリーの夫である。もちろんちゃんと最低なやつである。だからこれははかなりしっかりとした、さよならオッサンムービーである。
そんな最低なオッサンと何十年暮らそうと、もうそれが必要なくなる生活と新しい環境を作り上げた彼女は素晴らしい。自分の存在を見せつけて、というセリフがあるが、意識的にやることが時には必要なのだなと思った。自分の言葉と行動とでしか生きた証を残せないなら、わたしには一体何ができるのだろうかと考えさせられた。
なんだかこういう結果オーライな映画を見たい気分だった。
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