コミュニケーションというのは、どんなに同じ言語だとしても一種の翻訳作業だと常々わたしは思っている。
だから極力誤解の生じないようにと、あらゆる表現方法を駆使してわたしは喋る。喋り続ける。
時々一体わたしはどうしてこんなに努力しないと思いが届かないのかと途方に暮れることもあるけれど、現実的に日常を社会的な福祉サービスを受けながら生活することとはそんなことが必須であるに違いないと思っている。
だから、割といつもものすごく実はわたしは疲れている。
阿吽の呼吸などというものは意外と例外のような奇跡の上にしかないのかもしれない。
そんないちいちを言葉にすることはほとんどないのだけれど、このような言葉を尽くすわたしですら大いなる誤解があちこちに生まれるのだから、共通の言葉を持たない自閉症の方々の思いというのは並大抵には伝わりにくく、さぞかし孤独な中でいるのだろうと昔からわたしは胸が痛かった。
わたしにとって感情というものはとても大切で、正直なところそれをどれほど自然に振る舞って許される空間であるかが、本当に幸せな空間なのかもしれない。
今までの人生を振り返っても、そのような空間はどこにもなかった。
わたしの思いはいつも社会にとって邪魔であり、つまらないものであった。
福祉サービスを受け始めてから、当事者の希望を大切にしますとどの支援者も言ったけれど、実際には意外と気を遣っている自分にも気づいていた。
そして思ったよりそのいちいちの事業者や役所までもが『こちらにも都合がありまして』とあちこちの都合をいうものなのであった。
そんな方々の都合を聞き入れないと支援が行われなくなる不安、そんな時の気持ちが一番嫌だった。
夜寝る前に寝転んでいたら、気持ちは休まりたいのに体がむずむずして眠りにくいことに気づいた。主治医によると『制約の多い生活をしてるからストレスによるもの、きっとずっとあったはず』とのこと。
なんてこと!知らない間に身体の中で暴れられない暴れん坊を飼っている気分だった。
暴れん坊を大人しくさせる薬はあるのだけれど、それを服用することがわたしの人生にとっての『解決策』なのか、まだまだ疑問は尽きない。
数年前、この映画が作られたきっかけになった本が話題になった頃、NHKのドキュメンタリーを見た。言葉って何だろうかとたくさん考えた。
この映画はきっと画期的ではあるけれど、一つの入り口になるのだろうと思った。支援サービスにも何もかもに有意義になるのかなとも思った。
でもその後どうなったか、わたしは知らない。
コメント
コメントを投稿