人生においてできれば出会いたくない出来事というのはいろいろある。
そんなことに出会った3人の親友たちが何を考えて何に悩んでどうするのか、そんな物語。
それぞれの境遇において怖くて触れなかったこと、気持ちを表すことの難しさ、大人なのに傷つく事への恐怖と傷付けることの回避、それでも無慈悲に起こる大きな出来事への適切な対処、年相応というプレッシャー、複雑すぎる時期のドラマである。一人一人の言葉がいつも愛おしいのはきっと限られた時間の中で最善を尽くす気持ちによるものなのではないだろうか。
例えば、地震雷火事親父という表現に含まれること。
①地震
今のところ人生で一番辛かった時期に、何度か生きていけそうにないと思って大量に服薬した。両親はそのようなことで救急車を呼ぶ人たちでないのをわたしは知っていた。何度目かで目覚めてまた生き延びた事への重い後悔をしながら、ぼうっとテレビを見ていた。ずいぶん時間が経って、なんかおかしいと思った。番組らしいものがない。ずっと瓦礫を映し続けている様は異様だった。
「何かあったん」母に尋ねたところ、東北の方で大きな地震があったという。それでテレビも何もかもがいつもと違うことになっていると知った。
その後たくさんを考えた。わたしの命について、日々増えていく犠牲者の命について。
わたしはどうしたらいいのだろう。わたしの人生をどうしたらいいのだろう、と。
できることをひとしきりやってみよう、それでダメならその時また考えよう。そんな非常に暫定的な考えにしか辿り着けなかったけれど、それ以来わたしの意識は変わった。誰かがどう言うとかにかかわらず、今日死んでも後悔しないように一日を充実させようとそれだけを考えた。主治医を変えてやり直そう、まずそこから始めることになった。
「僕の出した薬でそんなことをされたら困る」それしか言わない当時の主治医が本当に嫌だったからである。
②雷
小さな頃は嫌いだった。怖かったし嫌だったけど、今は何だかスカッとする。
あらゆるものを押し流してくれたらいいのにとその勢いと迫力に何かを委ねている自分を感じるのも好き。わたしは雷に憧れているかもしれない。
③火事
①の頃、実家に住んでいたのだけれどその実家が火事になった。古い住宅だったからコンセントからの発火だったとのことだった。でもそれにより家族は家を失った。
保険の手続きやさなざまなものをまた再発行していく中で、こうやって強制終了した実家の暮らしにわたしが何も未練がないことに内心少し驚いていた。でもそれでなくても当時の手続きを進める上で、また山ほど嫌な思いをしていたわたしはもうどうでもよかった。
パンパンと爆竹みたいな音を立てていたのはCDだっただろうなとか、消防車っていい加減なんだなとかそんな記憶ぐらいだった。
元々あそこはわたしが大切に守りたい場所じゃなかったのだなと気づいた出来事だった。
とにかくこの時からわたしは物にこだわらなくなった。何が起こるかわからない、何で無くすかわからない、そう思った。
④親父
クズだった。少なくともわたしにとっては。辛かった。一緒の空間が怖かったし本当に嫌だった。いつか殺されるとずっと思っていた。表向きの牧師という仕事と裏腹な家族といる時の父は異様だった。特にわたしに対しての言動は今思うと異様だった。
人生でずっと「ああなりたくない人」だった。父の実家はもっとクズだった。だからちょっとだけ父とうまく語れたらよかったのかもしれないと思ったりもする。でもそれは無理な話で、ずっと無理な話だった。父の人生を思うと一人の娘としてやりきれない。あのアホはほんまに何ということかと頭を抱えることになるに違いないから。世の中にはどうしても分かり合えない人がいることをなかなかわたしが認められないのはそんな父の存在によるのかもしれない。その可能性を父親だからと放棄できずにいるわたしの甘えによるのかもしれない。そんな自分が馬鹿みたいで悔しくてならない。
クズの家に育ったからクズになる、その連鎖に入るのが嫌だった。それだけ。そう思いたい。
とにかく最悪のオッサンだった。
そんな事柄がいっぱいある。しかもいつもどうして今?と思うような一番残酷なタイミングで起こる。そういう経験をたくさんしてわたしはもしかしたらたくましくなったかもしれない。望んでいないくらい鍛えられた。それがわたしの経験から得たものである。山ほどの屈辱的な思いの先に今いて、これ以上は無理なのだ。わたしはわたしである。わたしだけのものである。
だからわたしは好きなように生きて死ぬ。そこに辿り着いた。自信があるわけではないけど、ちょっとは度胸と覚悟ができたのかもしれない。そんな人生の途中なのだ。
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