誰が見ても「なんてこと!」となるこのドキュメンタリー。
ブリトニース・ピアーズの長い長い闘いの記録である。
非常識な父親などに苦しんだブリトニーに非常な親近感を覚えた。だからこそ、ずっと胸が痛かった。腰が曲がるくらい。
この父親にとって「自分の娘」はあくまでも親にとってのツールに過ぎないから、きっと一生「個人としての娘」という概念は理解できないであろう。彼女の一方通行な苦しみを思うと、たまらなかった。
彼女の緊張で休まらない生活の連続を思うと、そうだったそうだったとろくに稼いできたわけでもなかったわたしの人生と感覚的になぜか重なる。
そんなわたしのことで言うと恐縮だけど、いまだにわたしは生活していて「緊張」が取れない。どんなに気を抜いて暮らそうとしても、どこに住んでも緊張が取れない。
週に5回も鍼治療が必要なほどに、緊張が身体に染み付いてしまっている。
これは異常なことなんだとわかっていても、自律神経についてはどうにもならない。
確かにわたしにはお金は大してなかったが、同時にLDの算数障害があることが近ごろ分かった。
だから家族にはそのことを何度も訴えたが、その度に怠惰であるとか馬鹿だとかを罵り続けられた。
お金があろうがなかろうが、きっとこういう父親は子どもを潰してしまう。
現にブリトニーはお金以外にも多くも人や物を失ってきたではないか。
後に一人で生活するにあたり、福祉サービスも利用したがほんの一人の担当者が、わたしの引っ越しによって変更することでまた必要なサービスは行われなかった。
わたしは今、右京区に住んでいて、近々3年目に突入するのだけど、ただの一度も必要なサービスが行われたことはなかった。
さて、家族は今も昔もわたしを罵る存在であった。
そこから出ればもう少し違った世の中があると信じていた。
福祉サービスを受ければもっと人道的な時間を過ごせるのが当然だと思ってきた。
そのうち事実がどの程度なのかと思うと訳がわからなくなる。
結局「家族がDVでした、社会もDVでした」
が正解なんだろうか。
その時、社会において圧倒的に理不尽な父親の役割は誰なのか。
おっさん病のおっさんと違うのか。
何度も言うが、わたしはブリトニーと違う。
お金もないし、発言力も大してない。
この構造的な問題に、アメリカですらなかなか手出しできなかったではないか。
じゃあ、もっと人権意識の低い日本では、もうどうしようもないのか。
どれほどおっさんが多いのか。もう詐欺師だらけである。そして憂鬱である。
それなら希望を持って生きてきた人生をどうしてくれるねん、と誰にかわからないけど怒りが込み上げる。
「最初からこれが世の中だと言ってきたではないか」という父の声が聞こえてきそうで、今はめっきり途方に暮れている。
ちょっと疲れたのかもしれない。それくらい思い当たる感情の多い映画だった。
あーあ。
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