スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2023の投稿を表示しています

日々の考察 「支援」vol.2

  できないことは犯罪なのか。 『盗られた財布』は嘘ではない。 きちんと探さなければならない。 ぐうううう、愛するぐっさん    障害者として生きていくにも、生活保護の受給者として生きていくとしても、わたしはいつもわたしの見識からでは想定外の障壁に出くわしてきた。 それはいつも偏見というあまりに大きな固定観念でもあった。 障害者の人といえば、この疾患の方は大体こういう感じだ、生活保護の受給者は大体こういうものだ、などなど。 そういう話は山ほどあるけれど、そこに何かしらポジティブなニュアンスはあるだろうか。 それをひっくるめてわたしはやはりそれはただの偏見ではないのか?と問いたい。 そんな必要以上の不自由が当たり前とされるには、それなりの理由がないといけない気がするが、実のところいつもそんなものは空気であるとか慣例であるとかいう一才の具体性を持たないもので説明をつけられてしまうのだ。 例えば、うちには今、成年後見人制度で言うところの補助人がいる。これがまた、 支援という言葉とは程遠い価値観で回っている制度で、しれば知るほどザルであり、必要なスキルもおおよそ必要ないまま働けてしまうなんちゃらホイホイのような制度だったのである。 だから意識ある被支援者からすると恐ろしくてやってられないようなことになるのであり、犯罪と言ってもいいほどの怪しいこともできてしまうものであった。 わたしの補助人はとにかく彼の都合に合わせることをわたしに求めるが、あまりに無理があるので交代してもらうことにした。しかし、その手続きのために裁判所へきちんと書類を提出してくださいと言われても、ずっと無視することでその座に居座るとかそもそも提出しないで保管したいと言い出す始末であった。常に彼のやったことといえば、とにかく常にわたしの生活の妨害であった。 愛車とファニーな相棒の愛犬サク 結局彼は今、後任者が決まるまでの間、わたしの区役所のケースワーカーが取り次ぎながらわたしの生活がきちんと滞りなくやれるように調整するという事態になっている。それくらい彼の辞任が確定していてもまだ、わたしのお金そのものに対する彼の執着は異常なのである。 彼は銀行口座で管理しない。全額『お持ち帰り』したがる。余剰分も口座にも戻すことはしない。出納帳はつけないと公言している。手持ちにしかないのでその残額は当人には教えない…...

日々の考察 「支援」vol.1

『支援』が人の心を壊すということはあるのか      わたしの両親のわたしへの関わりはいつも独特で一方的でしかなかった。 そんな中でわたしは言葉を失い、いくら話してもその言葉がまともに尊重されなかった。とりあえず、子どもとしてわたしはそんな環境では生きるためのことしか考えなかった。きっと外ではもっとマシな未来があるという可能性だけを信じていたのだ。 そんな中、ある時両親はいつものような一方的な流れでわたしの精神科への入院を決めていたことがある。その体験はいつもわたしを恐怖のどん底に落とす形で今のわたしにも暗く影を落としている。それほどにその入院病棟は異常で終わりのない恐怖に満ち満ちたものであった。 それでもわたしは愚かなことに、ここと違って外の世界である社会においてはそういうところばかりではないはず、そういうことのない人生を選べるはずだろうと毎度毎度ほんの少しの希望に縋る思いで命を繋いでいた。忍耐の時間と労力で生きていた。いつも疲れた子どもだった。 そしてやっと長い時がたちそんな色々から解放されたと思った時に、いきなり社会、わたしにとって希望を託すしかなかった社会はどうだったと言えるのだろう。 もしそこでわたしが病気になることもなく健康で働いていたなら一人前の人間として生きていけたかもしれない。例えそこにまだまだ課題はあったとしても。 しかしそのタイミングでわたしは社会的な福祉サービスという支援を受ける存在となった。 正直言ってこれがまずかった。なぜならここ福祉業界の力の構造はわたしの生まれ育った虐待的な家族となんら変わりなかったからである。 虐待的な業界ではあるが家族ではない。 一般的に家族だから発覚しにくいのであり、他人ならただの犯罪である。 にもかかわらず福祉業界というものが一つの家族的な共同体となって守り合うために、一つの家族的共同体における DV のような構造となっている。だから相互に犯罪的な行為ですら注意し合えず、必然的に見殺しとなっていく。例えそこに犯罪があってもそれに対処しうるものでもなければ予防もできない。 果たしてこれを『支援』と言うべきなのか、自覚をしてほしい。支援とはそれほどに無責任でもないし、勝手なものでもないはずではないか。命を手助けすることと逆行することがあってもそれを指摘できないなら、一体それは何をしているというのか。 今、社会的には...