『支援』が人の心を壊すということはあるのか
わたしの両親のわたしへの関わりはいつも独特で一方的でしかなかった。
そんな中でわたしは言葉を失い、いくら話してもその言葉がまともに尊重されなかった。とりあえず、子どもとしてわたしはそんな環境では生きるためのことしか考えなかった。きっと外ではもっとマシな未来があるという可能性だけを信じていたのだ。
そんな中、ある時両親はいつものような一方的な流れでわたしの精神科への入院を決めていたことがある。その体験はいつもわたしを恐怖のどん底に落とす形で今のわたしにも暗く影を落としている。それほどにその入院病棟は異常で終わりのない恐怖に満ち満ちたものであった。
それでもわたしは愚かなことに、ここと違って外の世界である社会においてはそういうところばかりではないはず、そういうことのない人生を選べるはずだろうと毎度毎度ほんの少しの希望に縋る思いで命を繋いでいた。忍耐の時間と労力で生きていた。いつも疲れた子どもだった。
そしてやっと長い時がたちそんな色々から解放されたと思った時に、いきなり社会、わたしにとって希望を託すしかなかった社会はどうだったと言えるのだろう。
もしそこでわたしが病気になることもなく健康で働いていたなら一人前の人間として生きていけたかもしれない。例えそこにまだまだ課題はあったとしても。
しかしそのタイミングでわたしは社会的な福祉サービスという支援を受ける存在となった。
正直言ってこれがまずかった。なぜならここ福祉業界の力の構造はわたしの生まれ育った虐待的な家族となんら変わりなかったからである。
虐待的な業界ではあるが家族ではない。
一般的に家族だから発覚しにくいのであり、他人ならただの犯罪である。
にもかかわらず福祉業界というものが一つの家族的な共同体となって守り合うために、一つの家族的共同体におけるDVのような構造となっている。だから相互に犯罪的な行為ですら注意し合えず、必然的に見殺しとなっていく。例えそこに犯罪があってもそれに対処しうるものでもなければ予防もできない。
果たしてこれを『支援』と言うべきなのか、自覚をしてほしい。支援とはそれほどに無責任でもないし、勝手なものでもないはずではないか。命を手助けすることと逆行することがあってもそれを指摘できないなら、一体それは何をしているというのか。
今、社会的には家族においては父親の暴力に加担した母親も共犯として罰せられるようになってきているが、ここではまだそれすらできていない。支援と言う言葉は免罪符ではない。
これはどういうことなのか。構造的な欠陥なのか、ただの親和性なのか。ただ家父長制を再生産しているだけなのか。その業界そのものがヒエラルキーの下部にあるからとその事情を考え合わせてはどうかという意見もある。
しかし、それはまずその行為を止めてからでいいのではないか。
虐待中に虐待者なりの事情があるからと被虐待者が何をどうもできないのではないか。。個人個人の労働環境も一人ひとりの個人的環境も、それが被虐待者にとって考慮した挙句何を差し出しようもないのが実情ではないか。
可能性だけでいうなら、そういったストレスの発露の仕方しか知らないような者だからヒエラルキーからも振るい落とされているのでは、という疑念もある。
そうなると支援が必要なのは虐待者の側ではないか。
わたしは少なくともこの社会ではあまりにも思考回路がDV家族のものに慣らされすぎていると思う。家族的なというときのイメージですらある種の理想的なものと思われるほどだ。
だからそこにいる人たちは支援しながらその苦しみをあらかじめ諦めるのだ。他人の人生までもを勝手に諦めるということの責任は大きい。
わたしの人生は希望を持てるはずではなかっただけというだけのことなのか。
それは福祉業界のことか、日本社会のことか、世界がそうなのか。
わたしはずっとここのところ、そんなことに直面し続けている気がする。
わたしはまたどうしてここにいるのか、何が起こっているのかわからなくなった。ここから去ってしまいたい、そんな気持ちで今は耐えている。

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