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4月, 2023の投稿を表示しています

日々の考察 vol.4 支援を受けることが命取りになる危険性について《貧困ビジネスの点と線》

   古くていいものは限られている    人というのは、自分で思うほど強くない。毎回そう思ってはいるけれど、それでもまた過信してまた倒れる。きっとそこまでがセットで途中で気づくこと自体無理なのかもしれないと最近思えてきた。 先日から後見人制度における補助人という人がやってきている。厳密にはわたしが制度の利用を申請したことにより裁判所から選定されてやってきた人である。 ところが、この人が圧倒的に会計に伴う倫理を知らない、コミュニケーションが取れない、福祉を誤解しているなどなどと問題が多かったので交代してもらうことにした。その際にわたしの主治医より書面が出ていて、それが届いたらすぐに交代の申請にいくという約束であったが、それすら1ヶ月後にこちらが気づくまで奪ったままでいたのだ。こちらから裁判所にいうのでもう構わない、と連絡したら彼は慌ててその日じゅうに提出したのであった。 それで裁判所にわたしは呼ばれていろいろ聞かれたりもしたが、一貫してわたしとわたしの支援者たちは、いかにコミュニケーションの取れない人か、またその人は金銭面でも全く明らかにしないのかできない主義のようで、そのくせ膨大な皺寄せが日常生活に響いて生活がより困難になっているのだと証言した。 交代するまでの今はツナギの時期。そんなうちに彼の「経済的虐待」というのは進み、行政に通報されるまでになった。 そんな中、彼の管轄でもある裁判所の担当調査官にわたしはどうにかしてくれと常々話をするのだが、ふと昨日「あの方は今通報されてますけどご存じでしたか?」と聞いたところ 「え? そんなん誰も教えてくれませんでしたわ、知らんかった!!!どこに通報されてるんですか?こっちから電話して聞きますわ!!」と大騒ぎし始めた。 なんなんだ、この人たちは。 その補助人もそうだが、おっさんというのは自称ベテランと言いながら知らないことを誇るかのような場面が多い。新人でもないのに知らないからと言って許されることはそうそう多くないのだ。 その点この裁判所に至っては、一市民としてなんというだらしなさだと情けなくなった。こんなところだからあんな補助人や去年捕まった後見人などが跋扈するのだと。しっかりしろよ。 そんなに仲は悪くないよ 昨日、どこまで本人にこの事態が理解できているのかが謎ではあるが、その補助人からのメールが来た。 あくまでも自分は正し...

日々の考察 vol.3 わたしの暮らしはどうあるべきなのか

近所の神社前をサクと疾走中 「障害者ならこんな生活をするもの」 であるとか 「生活保護を受給するならこんなふうなヒトであるべき」 そんなこんながあんまりにも多いもので、時々わたしは耐えられなくなってしまう。 わたしの身体は「それなりに」不自由であるが、その失った機能以上の不自由をなぜ理由もなく受け入れなくてはならないのだろうか。 一体わたしは実際にどれほど不自由であるべきなのか。 それもまた支援を受けることにより実感することがあっちこっちにあるのだ。 あれをしたいと思ってもかなわない。 これをしたいと思っても実現しない。 たどり着かない。会えない。できない。できない。 中途半端な欲求不満は大きな固定観念をどうにもできず中途半端な妥協に終わることによって作られる。 こういうソファの座り方を最近覚えたのだ 支援する方々に聞いてみたい。あなたならどうする? それほど気にしないで暮らせるのかと。本当にそれが大したことではないのだろうか。 以前 「わたしなら支援を受けるのだからそのようなものだと思います。そう思うと思います」と言い切った支援者の方がいた。「支援を受けるのだから」そんなもんだと諦めた理由がよくわからない。支援を受けるのは果たして何かを我慢するためだったか。だったらこれはなんの罰なのだろうか。わたしは、懲罰くらいでしかこんな発想になることがないのでわからない。 それを罰ではないと言うならお給料でも払っていただきたい。我慢することが完全にビジネスだと割り切るために。 わたしもこの関係性の歪な感じをいつもどうにかしたいと思っている。 わたしという当事者はどんな存在なのだろうか。マネキンみたいなものなのか。 うんとさえ言えればいいのか。 何を提供して何を得ているのか。またはさらに何を失うのか。 鈍感でなくちゃ支援を受ける生活はできない。それがリアルである。 歯を食いしばる姿もじっと耐える姿ももう見せたくないのだ、本心は。 わたしは確かに楽しく毎日を過ごしたい。 それが思った以上に苦しいと思うとき、その先に一体全体何を支えにしていくのかと思うと真っ暗な思いがする。 暗くてすごく空っぽだと思い至ってとてもとても悲しくなった。 もしかしたら元々なかったもの以上に空っぽになっていく。 結局何も残らない、そんなものかと。 そんな時にまた思うのだ。 わたしに今ある自由って一体どのく...