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| レトロすぎるわたしなのだ |
環境ってなんなんだろう。
当たり前が当たり前じゃなかった、ということの衝撃。
よくそんなディストピア映画がある。
その時代には今ある「自由」が制限されていたり、そもそもそこの誰かに管理されていたりする。そういった作品を見て「ああいう世の中にしてはなりませんな」と思う人が多いのかもしれないが、わたしはいつもフラッシュバックを起こしてしまうのだ。既視感、それは「確実にわたしにはそこにいた経験がある」ということの恐怖を呼び戻すのだ。
そんな時期がわたしはとても長かったと思う。正直言って「バカみたいに」長い間そんな環境にいた。
逃げればいいのにといつもわたしは知っていたのに長く耐えることを選んだ。
「バカみたいに」耐えていた。
そんな時わたしにはいつも呪文のように自分に言い聞かせていた言葉があった。
ローマ人への手紙 5:3-5 JA1955
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
つくづくよくできていると感心する。なぜならわたしは、決して「このように考えて耐えろ」と言われたわけじゃなく、自らこの箇所を気に入って信じていたからだ。
そう考えることがこの言葉どおりに「希望」だったからだけじゃなく、何よりクリスチャンの親にはウケが良かった。うまくそれなりに誤魔化せたのだ。わたしが本当はどう思っているかというわたしの気持ちを。わたしはずるく育ってしまった。
人から見ると本当に奇妙で情けないのかもしれないけど、親の感覚と子の感覚は全く別物で、これはきっと動物的本能として子は親を絶対視する。特に幼い時にはそれが全てだ。どんな親も変じゃないものなのだ。だから成長していく時に、親に対する批判的な心情が生まれると、罪悪感も抱く。特にわたしの育った家のような支配的な親子の間では、そういう親と違う意見を持つことそのものは、同時に死に値するほどの恐怖を伴うことだった。
非常な表裏のある親を見て知っていたし、正直に言えば自分がそうなりたいとは全く思わなかったが、段々と自らの本当の気持ちを隠すうちに、「取り繕うことが上手すぎる子ども」に仕上がっているのも感じていた。生きるためとはいえ、そんな選択をしている自分に吐き気がするほど嫌悪感を抱いていた。
もっと早く人生を諦めてしまうことは、当時のわたしにとってある意味でより簡単だったのかもしれない。
でもそんな時も先ほどの呪文に希望を託していたのも事実なのだ。あの文章をまた繰り返しながら耐えること、そこにだけ希望を持っていた。
筆舌に尽くしがたい、とはきっとこういうことだろうと自分でも思うくらいに毎日が辛かった。そんな時間について、今のわたしが感じるのは「奪われた」という感覚だ。
人生の40年以上を奪われたという残念な思いは、それに気づいた時から始まる。
そしてそのショックは、身近な人を亡くすほどにこれまた辛い。だって自分だもの。誰より近い存在である。少なくとも幼い時から長らくわたしは半分以上死んでいた。
これからのわたしは、自分が納得するものを並べた部屋で、自分が好きなことをして納得して楽しんで生きたい。そんな空間に住みたいし、時間を使いたい。そしてきっと自分でも見てこないままの傷をゆっくり癒やし労りたいのだ。わたしは今、自分のこれからにまずは、それだけを望んでいるだけなのだ。
いつも家族に関することはわたしにはあまりに複雑で、あまりに遠い。カオスだった。

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