普段から、出来ないことを身近な支援者にお願いする際に断られることがあると、それがなぜなのかと尋ねることにしている。
一つの理由に、行政から「それをすることが許されていないから」というものがあるのだが、それをいうと簡単に通じると思ってか、印籠のように出てくる場面としては非常に多い。
しかし、わたしにはその意図がわからない。意味ではない、意図がわからないのだ。
そう言って断ることが誰のためになるのか、きちんと考えて答えているのかと思うと、大抵の場合はそこに非常に無自覚なことも多く、結局この人は単なるビジネスで困りごとを手助けしに来ているわけではないのだなと思うしかないからである。
心の距離を無駄に広げながらなお支援をしたいということの関連性がわたしにはわからないからだ。
ま、そういう場面は折に触れありうるので、そういうことに出会わないように毎日無理をしながら暮らしているのが現実である。
そして、先日より述べてきた旧補助人についてであるが、その悪質性を考えるにつけ、これは訴訟に持ち込んででもあの態度と「支援」の実態の異常性を訴えなければと思った。新補助人が弁護士に相談したそうでその話を聞いた。
心理的な損害に対してしか要求できない可能性が高いのでその場合は対した金額にならない、そこから弁護士の費用を差し引くとろくに残らないし、弁護士としても収入にならない裁判になるので引き受ける者はあまりいないだろう。とのこと。
「そんなにお金が欲しいなら弁護士が全部持って行けばいい、弁護士にもまともな職業倫理はないのか、それよりお金が優先されるのか」
と嫌になった。
世の弁護士がそんなんだからあんな人がのさばるのだ。どんだけ金金と言いたいのか。恥ずかしいし情けない。わたしは「お勉強」して来た挙句まともなモラルもホスピタリティーもなくしている人たちを見ると、不愉快というより同じ人間としてあまりに情けなく思う。根性が浅ましすぎるのだ。
「誰かあなたの周囲に『お金じゃなく動いてくれそうな弁護士さん』はいないですか」と新補助人は言った。
なんだかすごく虚しさばかりの気分になっていたわたしは
「うちに来る人は、お金が入らなければ来ない人ばっかりですよ。お金が入るから来るわけだから、そういう意味ではみんなそうですよ。人間としてとかモラルとしてとかなんて絵に描いた餅でしかない。お金が入らないとわかったら誰も来ませんよ」
ちょっとキレながら言った。本当は泣きたかった。
とても悲しかった。こんなことが当たり前なら法曹界は終わっている。
だから
「そんなにお金が欲しいなら全部弁護士が取ればいい。全部くれてやりますよ。明らかにわたしの方が貧乏だけど、わたしの目的はお金じゃない」
そういった。
こうやって世間のお金は持つものにばかり集中して、無いものはどこまでも無いままになる。取られても返ってくるものにすら群がるような利権ばかりなのだ。
「どうせ困ってるんだからやるだけいいだろう、文句を言う方がおかしい」
見え見えで辛い。私たち当事者は、何をされてもいいわけじゃない。
だから、わたしはずっと思っている。
こんなに迷惑がられながら、一体わたしは何をやっているんだろうか。
なぜ生きてるんだろうか。そんな自分に嫌気が差して来ている。
AIですら地道にやれというけれど、地道にやるには体力と根気がいる。
わたしは病人なのでそれに自信がない。当たり前だけど。
ずっと「いつ発狂するのか」と試されているような気がしている。
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