最近、あちこちに流出した官僚の始末が非常に悪く、とてもとても日本の政治によくない出来事をもたらしている。
今話題の兵庫県知事も官僚の天下りでもあるし、他にも地方自治があちこちで悲鳴を上げ始めているところには、本当によく元官僚が絡んでいる。
彼らは、他の立候補者との差別化を図るときに、「インテリっぽさ」を武器にしがちで「さすが頭がいいのですね」と言われることも多い。実際は中身があろうがなかろうが、しつこく屁理屈を繰り広げてでも食い下がったりするので余計に目立つだけなのだ。
旧態依然とした慣例に基づきがちなおっさんの政治やその世界に怯まず切り込んでいくその姿に、かっこよさと憧れを感じて淡い期待をしてしまう若い人たちを支持層とするのだ。
しかし、考えてみてほしい。
彼らは「官僚」であった人たちである。官僚の仕事とは
今どんな環境でおこなわれているのか。一体彼らはどこからきてそこはどんなところだったのか。
霞ヶ関というところは、今の日本の公務員の中でもずば抜けてブラックな職場である。長い受験戦争をトップでくぐり抜けてきた彼らは、そこで「働くとはこういうものか」と仕込まれる。この国では珍しいほどに高いプライドを持ちながら、「政治家」というだけのいい加減なおっさんの我儘に付き合わされるのである。一般的にそんな理不尽な職場ならとうに改善されていてもおかしくないのだけれど、なかなかそうはいかない。
愚民のように制度そのものをひっくり返したりすることを、エリート官僚は望まないからだ。彼らは元々ある型を崩すような考え方はしないのである。なぜなら、政治(型)を動かしているのは実際には自分達なんだという自負があるからである。
かくして出来上がった「官僚崩れ」というか官僚の天下りとなる人材の歪みは生じているのではないか。
国政に携わる政治家のように横柄で、とんでもないエリート意識に支えられたプライド。もうすでにやりにくいタイプである。
わたしは常々人がその人にとって適切なプライドを保ち、他者のプライドを尊重することはどういったことか、とよく考える。
そういった場面では、多様性に基づくその人それぞれの事情を踏まえたものが想定されるが、それと違って先ほどから述べている官僚のプライドというのは、どうも非常に画一的な気がしてならない。自らを自動的にその集団においてずば抜けたエリートと振り分ける設定、のようなものではないか。
彼らはなぜか国政より地方自治を好む節があるのも一つはそれが要因のような気がする。
似たようなスペックの霞ヶ関と渡り合うのは嫌うが、下々のものが多い地方なら大丈夫だろう、なんならヒーローやカリスマになれるじゃないか。
さて、この間そんな元エリート官僚である兵庫県知事がやたら炎上している。
正直いって彼が欲しがるものや暴言のリストなどをみてきていると、なんの大喜利なんだと呆れておかしくなり始めているのだが、そんなおかしな知事のままで3年も県は存在し続け、しかもそれを告発した職員の方がなくならないと表に出なかったほど、県庁に関わる人の中でこのことが隠蔽されてきたという大きすぎる事実に驚愕する。
なんということか。
今の彼が何をいってもかなりおかしいのは事実だけど、一番初めはどうだったのだろうか、いきなり初登庁からおかしかったのかとつくづくわけがわからない。こんなことがあるのか。
「選挙で県民の負託をいただいた」といまだに3年前の栄光にしがみついている知事の言い分に対して、「今の話でしょうが」で終わるのは当然ではあるが、発覚したらしたでこんなにめんどくさいのかというほどの手筈を整えながら、その3年間を検証していく様子を見ていて、これまたしばらく県民はその間この知事の夢物語に付き合うしかないのかとため息が出る思いである。
壮大な詐欺のような事件ではないか。そしてその容疑者はまだそこにいる。
なんだこれは。
彼は今よくわからない言葉で語り、よくわからない言い分を繰り返す。質問にきちんと答えることができなくなっている様を見ていて、それでもこの人はなぜか大丈夫そうな上、たまにキレとる。てか、キレてる場合か? てか、キレていいのか、あんた的に大丈夫なんか?
記者が殿様にインタビューしているみたいな喋りかたで知事に聞いている様は非常に滑稽であるが、これだけでは県民的には居た堪れないんだろうなと推察するほかない。もはやくいだおれ人形みたいになってる。
いやあ、すごい。色々と。
彼は今後どうするんだろうか。。まあ辞めることになるな。
その後は? めちゃ有名というか悪名高くなってしまうやん。
いや、もうそうなってる。いっときのトランプみたいなものである。
彼の御用弁護士もこれはやばいわよ。一蓮托生な約束になっているんだろうか。つくづく不思議である。
最近、そんなことがめちゃ気になってきた。これは医療とか福祉とかの出番ではなかろうかとも思えるが、こういう方の他害的なことというのは、もう少し小さなスケールでは社会的にまだある話であるが、この国ではそこに医療やケアはシステムとして入らない。
アメリカではいじめがあるときに、いじめっ子にまずケアが入るときく。
そりゃそうでしょ。
だからこの知事が「メンタルケアも県として整えていますので」と言いながらパワハラを続けるなら、まずあんたが受けなさいだし、それほど人を馬鹿にした話はないのである。大体、いじめっ子が「あの病院予約してあるからね」と言いながらいじめてどうするのよ。そんな残酷な話があるか?と思う。先にお前がやめろよ。本当にこの人は一々の物事について何にも知らなさすぎる。
こういうことでも、何かのヒントとして学ぶことがあるというのなら、まずはこの知事の方にケアを入れるという前例にしてほしい。そのことが、まともな反省を彼にもたらし、まともな贖罪に繋がると思うからだ。このままでは、こういうことへの多くの職員が味わった不完全燃焼な思いは、消化不良を起こすのみである。そんなに都合よく、傷ついたメンタルは回復しない。
そして医療ももっとそういう他害に真剣に取り組んでほしい。
こういう他者に対する異常なハラスメントを堂々と繰り返すような人に積極的な介入をできる方法を見つけてほしい。いつまでも通院歴だのなんだのとこだわるポイントが間違っている。そしてハラスメントそのものに構造的な問題があるのなら、それを改善することが先決である。
そのために逮捕が必須であればそれも仕方ない。
それが被害者のためになるということそのものが、司法がきちんと働いている証拠ではないだろうか。

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