スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

12月, 2024の投稿を表示しています

PTSD当事者の毎日「アイスクリーム」

わたしの日常は、絶え間ない苦しみと闘う日々だ。  その根源にあるのは、「最低だった家族との生活より、世の中で暮らしていくほうがきっとマシに違いない」という、歪んだ価値観だ。  これは、漠然とした人への信頼というよりは、むしろ一般的な価値観とは真逆の、切実な生存戦略と言えるかもしれない。  様々な困難を経験してきた今でも、私はこの考えにすがって生きている。 それほどまでに、私の実家での暮らしは異様だった。  中学生の頃、頑張って部屋を飾り付け、美術館でかった好きな風景の写真や広告で綺麗なものをいただいたものポスターを貼って「よし!」と次の日を迎える。  しかし、学校から帰ると、そのポスターは剥がされ、ゴミ箱にすらなかった。  何度も繰り返された。  日記を書けば、その晩には必ず読まれ、朝まで厳しい叱責が続いた。今でも日記は苦手。書いてもいい思いをしなかったので苦手なのだ。  物理的な自由、心の自由、どちらも許されなかった。  今、あの状況を再び体験したら、間違いなく窒息してしまうだろう。 これは、他者から見た私の家族像とは全く関係ない、内面深くに潜む闇のようなものだった。  当時は、そんな分析をする余裕などなかった。  ただ、ただ、耐えることだけを必死で考えていた。  そして、一つ一つの出来事に対して、「傷ついた」「辛かった」という感情を、きちんと認識することさえできなかった。 親が亡くなり、私は一人になった。  そして今、PTSDという診断名と向き合っている。  あの家族との暮らしは、間違いなく私の人生で最悪の体験として刻まれている。  だから、世の中は、きっとそれよりはマシだろうと思う。  そう信じなければ、あの日々を耐えられなかった。  それは、私にとって、希望の光だったのだ。 しかし、毎日が容易ではない。  私の心は、まるでアイスクリームショップに並んだ、美しく満ち足りたアイスクリームのように見える。  しかし、それは、日々の生活の中で、少しずつ溶けていく。  嫌な言葉を浴びせられた時、それはまるで、大きな金属製のスクーパーで、私の心がゴリゴリと抉られているような感...

人格改造の告白

本当に幼い頃、わたしは今と全然違うタイプの性格だった。 わたしの家では強すぎる家父長制と宗教の色が強く出過ぎて何がなんやらわかりずらい両親が絶対的であったので、色々とぶつかることも多かったが、実際にはその前は非常に従順できっとそこそこいい子だったと思う。ユニークではあったと思うが。 わたしの親は、これをしろあれをしろという前になぜやらなかったのかという追求をよくしたのだが、今思うとそのようなスピリチュアルな要求にすらそこそこ対応できるほど、親から見た時に大きな問題を感じることもなかったのではと思ったりしている。年齢にしてはかなりヘビーな要求が次から次からあったのも事実だが、なんだかんだで一生懸命それをやろうとしていた。 しかし、中学校で私学に入った途端、授業料が高いことでそれを引き換えに何かをやれという親からの言い分が増えていった。 「もう授業料払わへんぞ」ということを二言目には言われたものだった。今思うとじゃあ払わなければよかったのにとも思えるがその頃のわたしは脅しに素直に怯え、なんとかしようと努力していたのだと思う、幼かったので。 そんなわけでだんだん親の言い分が奇妙に変化し始めた。無茶振りや理不尽なものも増えていった。 ところが、中学二年生の初めにちょっとしたいじめのような出来事があった。クラブ活動の中で、所属する同学年の人全てに嫌われていたということが発覚したのだった。その時までそんなに嫌われていたことをわたし自身が知らなかったことが一番びっくりだったが、その直後、これは困ったことになった、と思った。 なぜなら彼女たちはかなり人数が多く、今後の学生生活を脅かすほどあちこちにいたからだ。なんかやばいことになりそうな予感がして、どうしようかと思った時にまず決めたことは、 「とにかくこちらが誰一人も気にしないようにしよう。忘れたふりをできるほど気にしないでいたら、彼女たちはもうそれ以上言ってこないはず」ということだった。 そもそも大した理由もないのに多数決のような形で追い出されたから、その葛藤も強く、決断に悩みすごく辛かった。でもそうしないとここでは生きていけない、そう思ったのだった。だから単なるクラブ活動をやめたというだけのこととしてこの件を終えようとしたのだった。わたしの側が気にしなければなんとかなるということだけはわかっていた。それで本当に終われると思ったの...

メディア論の現在 メディアとアンチ既存メディア論

わたしは年配のおっさんが器が小さいとか内省が足らんなどと 常々おもってきているのだが、先般からオールドメディアがどうだとかネットがどうだとかいう新たな軸も入ってきていて一体なんのことやと興味を持った。そういうわたしはだいたいいつもYouTubeを見ていることもあり、でも実はあまり実感がなかったのだ。 つまりわたしにはまずその分類がわからなかった。 どうして分けたがるのか、その真意が図りかねたのだ。何が違うのかと。 そもそも分けなくてもいいのにとおもっていて、でもそんなことを割とよく言いがち言われがちな方の話を聞いてみようとおもってこの動画を見てみた。メディアと社会についての若い世代の議論を聞いてみようとおもったからだ。同世代のお二人の会話でもあるので、非常にノリノリであるなというのが第一印象だった。 そしてなるほどと確信するに至った。最初のわたしの疑問は、ただのジェネレーションギャップにすぎないのだった。オールドメディアとかニューメディアという言葉を自らいうオールドな人はいないということと同じである。メディアという名前を借りた代理論戦みたいなところがある。結局のところわたしはそう思うに至った。今、国民民主党がなぜか少し人気だけど、その党のいちいちの主張もこういう問題に似たところがある。 若い人たちの発言の場があることによって、「老害」も含むことで発言力の弱くなりがちな「オールドメディア」に対して、これは非常に残念なのだけど「排除的」な思考で対抗する、そう言ったアティチュードに裏付けされた分断・批判なのだ。 なぜ残念だと言ったのかというと、そうすることはいちいちの文化に対しての敬意を感じないからである。つまりそれは変革的であることよりもむしろ排除的である思考を指していっているのだけど、その不戦勝じゃなくて不戦敗をしながら捨て台詞を言うような姿勢がとても残念なのだ。「覚えてろよ」的な話である。そう、昔からある視点である。だから反抗期みたいなもんだと思っているのだ。 問題のある対象にビビって近づけない怖がりが、遠く離れて言ってる「おぼえてろよ」はちょっとカッコ悪い。 きっとそれは自分自身の歴史が浅いことだけでなく、きっと教育システムの中で人類の歴史がいかに今に繋がるのか、そこに向き合うのに必要な一個人としての姿勢を根付かせていないからではないか。倫理的な思考がきちんと学問...