オーディション番組というのが数年前からコンスタントに配信されている。
そのことは知っていたが、あまり見たことはなかった。
ところが先日、ふと見たキャッチコピーに 釣られてしっかりと見ることになったものがあった。
No No Girls という女性グループのオーディション番組である。
「身長、体重、年齢はいりません。ただあなたの声と人生を見せてください」という応募要件ということにすごく興味を抱いたのがきっかけである。今までNOと言われてきた女性たちに焦点を当てたオーディションという観点にすごく惹かれたのだ。すごく魅力的なコンセプトに思えた。
彼女たちが合宿やさまざまな審査をくり返しながら、時に励まし合い、でも成長していく物語にすごく引き込まれた。彼女たちの抱える悔しさやコンプレックスは、もしかしたら多くの女性たちに共感を呼び、その苦しみに相対する高い実力を見れば見るほどこの世の不条理を感じながら一緒にその人生を体験している気がするほどだった。そういった意味で非常に意味深く感慨深いドラマを見た気がしていた。
さて、その後わたしはオーディション番組というのに興味を抱いて、その前に開催されていた、同じ事務所が開催した、男性グループのオーディション THE FIRST というのを見た。ちなみにわたしは先に選抜された彼らがデビューしてからの活動というのをほとんど知らなかったので、同じく新鮮な気持ちで見たのだった。
そこで気づいたことというと、男子ってなんでこんなに泣くの?ということだった。言っておくがそうは言っても、わたしももれなく彼らの実力に圧倒され、成長物語に感動したのは紛れもない事実なのだ。
しかしオーディションというのはそう大きな差があるものではなく、女性の場合と同じく、合宿などをしながら勝ち抜いていくスタイルであることには大きな差はなかった。
しかし、しかしだ。女性たちは、決して冷たいわけではない。それぞれを尊重しながら、確かに時にはもらい泣きもしながら成長していくが、誰かが敗退したからといって過剰にそれを残念がることをあまりしない。それはきっと本人が一番悔しいことを誰よりわかるからこそ、安易に同情することをしないのだと思った。
一方男性たちは、一人ひとりが脱落していくたびにほとんど全員が、ものすごく残念がる。号泣し、体の一部がなくなるかの如く嘆き悲しむ。
雰囲気で言えば、高校野球の負けたり勝ったりの場面で見られるような、肩を抱き合って悲しむような感情溢れる姿だった。
ものすごく対照的だった。
つまり、わたしももちろん時にはもらい泣きをしたりした時があったのは認めた上で言うけれど、男子たちは幼稚に思えたし、女子は自立していた。
仲間意識というの男女の意味の違いがこれほど如実に現れるとは、わたしも思いもしなかった。
これほど違うとなると、もちろんわたしはこれは一体どういうことなんだと考えてしまった。
単純な性差、つまりジェンダーの違いなのだと言えばそれまでだけれど、みんな20歳になるかならないかでそういう違いが完成された形で起こっていることに驚いてしまったのだ。
そんなことを考えている時、ふと思ったことがある。
うちにはペットが3匹いるのであるが、マルチーズのネモが最初にやってくる時に、マルチーズがいいなと思ったわたしはオスにするかメスにするかを悩んでいたので、どう違うかの傾向みたいなものはあるのかと疑問に思ったことがある。
「メスは割とサッパリしてますね。でもオスは甘えん坊の傾向があります」とお店の方が言った。
その時はへえと思った程度だったが、今うちにいる3匹ともオスなのだが、そこそこそれぞれに目をかけないととても構えとそれぞれ主張してくるのだ。その様子を見ていて、オスっちゅうのはそういうものなんだなと思いつつわたしは日々生活している。
ということに思いが至った。先ほどのオーディションの話である。オスっちゅうのはそういうものなのか?
ジェンダーの社会性以前の話なのか???
そんな理由にしちゃっていいのか???
疑問は疑問のままである。

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