主人公は、6つの時代と場所で、6つの人生を生きる男。その人生は悪人で始まるが、様々な数奇な経験を経て、ついには世界を救うまでに魂が成長していく男の物語だ。2度のアカデミー賞に輝く名優トム・ハンクスが、これまでのキャリアのすべてを注ぎ、次第に変化していくキャラクターを演じ切った。 舞台は、19世紀から24世紀。過去・現在・未来にまたがる500年の間の6つのエピソードが、一見アトランダムな流れに見えて、実はシーンからシーンへのつなぎの一つ一つが完璧に計算された、圧倒的な映像で描かれていく。(公式HPより引用) 同じ俳優があちこちに出てくるから、輪廻についても言いたいのだろうなと思ったが、わたしは個人的には真の赤の他人にこそ同じことが言える気がしている。 この映画においての舞台は6ヶ所の物語として、そこの時代や暮らしぶり全てが違っても、同じことを同じように考えることは、同じ人間でなくても共有できるのではないかと言うこと。 命と社会という人の営みにおいて、それは役割を超えたものであり、普遍的かつ連続的な命題のようなことなのだろう。 それは確信を伴った真実ではないだろうか。 真実は人の数だけある、とかいうのも表裏一体な思考ではないかということである。 とにかくとても面白かった。 命が次へ次へと連なることは明白であるが、そこに継承される真実はいつの時代にも存在するトラブルにおいても同様だし… つまり、命は、輪廻という個人に限定したものではないのかもしれない、そう思った。 そしておっさんはいつの時代にも必ずいるようにも思えた。 やはり本気のさよならおっさんは、ファンタジックな幻想に過ぎなかったと嘆くことになるのだろうか。 そして同じようにそこには、 わたしみたいにさよならおっさん、嫌だなおっさん、という人も存在する。 なんてこったい。 わたし自身、視野をとにかく広げないと!と思いながら生きてきたが、世界ならまだしも過去と未来にもその幅が広がるとは。 そしてそのどこにも共有しうるものになるとは。 希望のかたまりである。 わたしの言動がどうであれ、どこかでおなじように不満があふれたりもするし、それで殺されたりもする。 でも、そんなわたしみたいな人はわたしが死んでも現れる。 おかしいことはおかしいという人。それは身体が死んでも心は滅びない、ということ。 それはとてつもない希...
バイバイ、いやなオッサン、バイバイおっさんみたいな文化 そんな決別宣言